「死はこわくない」 立花 隆 著

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pixabay

 

 


都道府県をまたぐ移動は

極力避けるようにと政府から

お達しが出ていますが、

 

高齢の父はすでにワクチン

を接種していますし、

母がお世話になっている

介護施設は、快く面会を

受け入れてくれたので、

久々に実家へ帰りました。

 

実家へ帰るたびに必ず立ち寄る

丸善ラゾーナ川崎店。

広くて、大好き。

お腹が空けば目の前に

たくさん飲食店が並んで

いるので何時間でもいられます。

 

本を買うときは、普段Amazonを

利用しますが、ここへ来た時は、

軽く立ち読みができるので、

本を選ぶのにたっぷり時間を

使います。

 

たまにAmazonで買おうと

思っていた本が、店頭に並んで

いたりすると、パッと見て、

「ムズっ!Amazonで

買わなくて正解だったわ」と

本を戻してしまうこともあり

ます。

 

リアル店舗ならではなのですが、

逆にAmazonでは買わない

ような本を買ってしまうことも

よくあります。

 

 

今日紹介する本は、

「死ぬのはこわくない」

立花 隆 著 です。

 

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立花隆先生はたくさんの本を

書かれているので、Amazon

ではこの本と出会うことは

ありませんでしたが、今年、

先生が亡くなられてしまった

こともあり、目立つところに

陳列されていたので、購入する

ことができました。

 

 

立花隆先生の本を初めて読んだのが

「臨死体験」。主人から勧められ

たのがきっかけ。

 

当時から、私はこういう話題が

好きだったんだと今更ながら

気がつきました。

 

 

立花隆先生は、若い頃から、

「死」を恐れていたと告白

しています。それが影響し、

哲学を勉強されたそうです。

 

 

約20年前の「臨死体験」という

番組を作ったときにも感じた

ことですが、死ぬということが

それほどこわくなくなるという

ことです。しかも、前よりも

強くそう思います。

 

結局、死ぬというのは夢の世界に

入っていくのに近い体験なのだから、

いい夢を見ようという気持ちで人間は

死んでいくことができるんじゃないか。

そういう気持ちになりました。

 

 

 

先生がそういう気持ちになれた

なら、私もいつかそう思えるよう

になれるかしら。

 

私は一度ガンを疑われてからと

いうもの、「死」が頭から離れ

ず、街を歩く老人を見れば、

不謹慎だけど、この人は

あと数年もしたら・・

とか、葬儀場のCMを見れば、

なんで人の死を扱うものが

当たり前のようにテレビ

で流れているんだろうと

考えていた時期がありました。

 

「死」は、普段私たちの背後に

潜んでいるだけで、何かあれば、

目の前に現れるとても身近な

存在。

 

私は疑いをかけられただけで、

がんを患ったわけでも

ないのに情けない。

 

でもこのきっかけがなかったら、

「死」についてここまで考える

ことはなかったと思います。

 

宇宙飛行士で医師の向井千秋さん

へのインタビューを受け、先生は、

 

いざ死の危機に直面すると、

人間って、その状況を把握したり、

その対応に駆け回ったりするのに

精一杯で、死を心配している

余裕なんてない。それが普通なん

です。暇な人だけが死の恐怖に

とらわれるんじゃないでしょうか。 

 

おっしゃる通りです。

現在、仕事の後にジムへ行き、

家事に読書、さらにはヨガを

する毎日。以前のように

「死」を恐れ、そればかり

考えることがなくなりました。

 

 

 

P140

 

「意識」とは何か

 

「あなたが目覚めて起きている

とき、脳の中を去来するすべて」

だと思います。

 

意識にかかわる細胞や物質は

まだ特定されていない。

脳研究の「最大の謎」と

言っても過言ではない。

 

 

p163

 

麻酔も、意識と無意識の境界

領域にある状態を作り出します。

私は膀胱がんで実際に麻酔を

かけられて手術を受けたので

実体験としてよく分かる。

ある種のケミカルな物質を

身体に注ぎ込むと、脳は

麻痺してしまう。

 

麻酔はなぜ効くのか、科学的には

何も分かっていない。意識の有無

の確認は、目に光をあてて、

瞳孔が収縮するという昔ながらの

方法しかなく、いまだに意識が

あるかゼロなのかを正確に判別

する方法がないという話には

驚きました。

 

 

 

そうなんだ〜。私は全身麻酔を

3度ほど経験していますが、

子供の頃に受けた手術では、

マスクをつけ、数を数えてと

看護婦さんから言われたあと、

お花畑と宇宙に浮かぶ地球が

見えたのを覚えています。

大人になってからの手術では、

あっという間に意識が遠のき、

目が覚めた時は、病室にいました。

 

ヨーガ哲学のアートマン(真我)が

我々の意識の最も深い内側に

あると言われますが、麻酔を

かけられてしまうと、それすら

も麻痺してしまうのだろうか・・

 

 

p172

すべての物に意識があるという

発想は、インド哲学も同じです。

インド哲学では、道端の石であ

っても意識があると考える。

 

p179

 

臨死体験者の話に耳を傾けると、

最後に自分というものが世界と

一体化する、そういう表現をする

人が実に多いですね。

 

p180

 

五木寛之さんが「大河の一滴」で

親鸞の思想を、「すべての人は

大河の一滴として大きな海に還り、

ふたたび蒸発して空に向かうとい

う大きな生命の物語を信じることに

ほかならない」と説明していますね。

道元も似たようなことを言っている。

 

 

きっと、自分がその一滴である自覚は

生きていても死んだとしても気づくこ

はないのだろう。

 

でもこの本を読んで

私たちは、大河に還っていくことは

間違いないと思った。

 

 

最後に立花隆先生は、

 

この歳になると、他人の生死に

それほど強い関心がなくなる。

他人の死を知っても、「ああ、

あいつもついに死んだか」と

思うのが関の山で、「エエッ、

あいつが死んだのか!」と、

思わず声をあげてその死を

嘆いたり悼んだりするなどは

ついぞなくなっっている。

 

 

と残していて、私が先生の

境地に辿り着くには、まだ

年齢的に早いということが

分かった。 

 

まだ、両親ともに健在である

私は、これから何度も何度も

他人の死を経験しなければ、

到底行き着くことはできない

だろう。

 

問題は、その境地に立つ前に

宣告された時、どうすれば

いいかだ。でも今それを考え

たところで、答えはきっと

みつからないはず。

 

そんなことを考える暇が

あるなら、体を思いっきり

動かし、読書しよう!!

 

 

立花隆先生、ありがとう。

 

心からご冥福をお祈り

いたします。

 

 

↓こちら、とてもいい記事でした。

 

 

www3.nhk.or.jp