神も仏もありませぬ 佐野洋子 著

          

 

 

 

佐野洋子さんの本。

私は、7年前に「死ぬ気まんまん」

という本を読んでいます。

でも、当時の私は、子育てが

終わっていなかったせいか

どこか他人事で、ピンと

来ませんでした。

 

そこで、もう一度読んでみようと

探したのだけど見当たりません。

仕方なく、先日図書館に行った際、

目に留まったこの本を読むことに

しました。

 

佐野洋子さんといえば、

「100万回生きた猫」ですよね。

息子に読んであげたことが

ありますが、読んでいる私の方が

感動したのを覚えています。

 

この本は、佐野洋子さんが60代の時に

書いたエッセイ。初版は2003 年。

 

 

人が年を取るのは何の不思議もないの。

あの人も年よねェ、私も年よねェ、

わかっているの。

でも鏡を見ると、「ウッソー、こ、

これ私、ウッソー」

って」思ってしまうの。

 

 

めちゃくちゃわかるぅ〜〜〜

 

明るい照明のある洗面台と違い、

リビングで、私の父親とFaceTimeで

会話する時に映し出される私の顔は、

びっくりするほど皮膚が垂れ下がり、

一瞬、どこの爺さん?(婆さん

じゃないところが味噌)と

思ってしまうのだ。

 

しかも、同じくスマホに映る

しわくちゃの父親の顔と私の顔が

そっくりで、愕然とする。

 

昔、清水なんとかというモノマネ芸人が

研ナオコの真似で顔にテープを貼って

いたが、私も顔中にテープを貼りたくなる。

 

痛いところもなく、体力もあるので、

年齢を忘れ、他人と会わず、鏡がなければ、

私は、ずっと小学生の時のままなんだけどな〜

チェッ

 

 

p64「フツーに死ぬ」

著者の飼い猫、フネが全身がんになって

しまう。著者は手術を断り、最後は

家で普通に過ごす選択をする。

 

この章は、私の飼っていたメス猫の

トモちゃんを思い出した。

 

14歳を迎えた頃から、やけに水を

飲むようになったので、動物病院で

診てもらうと、腎臓を患っていた。

老齢の猫に多いそうだ。

手術や薬で治るのか聞くと、無理だと

言うので、人間でいうバリアフリー化を

目指し、いつでも水が飲めるよう

部屋中に水を配置。食べやすい姿勢が

取れるように食事台を置いてあげるなど、

工夫した。

成果があったのか、なかったのか?

彼女は、最後まで、自分の足で

トイレに行き、亡くなる数時間前

まで、食事をしていました。

 

猫が高齢になったら、お世話が

大変だと聞いていたのに

ボランティアさんから頂いてきた

時から病気知らず。

手のかからない子で、亡くなる

時も私たちが寝ているすきに

旅立ってしまった。

 

16年の猫生でした。

 

フネは部屋の隅にいた。

クエっと変な声がした。

振り返ると少し足を動かしている。

ああ、びっくりした、死んだかと

思ったよ。二秒もたたないうちに、

また、クエっと声がして、フネは

死んだ。全然びっくりしなかった。

 

私は毎日フネを見て、見るたびに、

人間がガンになる動転ぶりと比べた。

〜略〜

私はこの小さな畜生に劣る。

この小さな生き物の、生き物の宿命で

ある死をそのまま受け入れている目に

ひるんだ。

私がフネだったら、わめいてうめいて、

その苦痛をのろうに違いなかった。

 

私はフネのように死にたいと思った。

人間は月まで出かける事ができても、

フネのように死ねない。

 

 

本当にそうなんだよね。

以前、私もがんを疑われただけで、

「なんで私が?」なんて涙を

流して狼狽えた。

本当に情けない。

 

私がこれまで飼っていたペット

だけでなく、周りを見渡せば、

カラスや雀、鳩だってそう。

 

彼らは人間より尊い。

 

 

 

p40

そう云えば、九十七歳の友達の母親が、

「洋子さん、私もう充分生きたわ、

いつお迎えが来てもいい。

でも今日でなくてもいい」と云ったっけ。

 

 

人間は、100歳まで長生きしても

お迎えは、今日じゃない方がいいと

思うものなんだね。