「占い師の話」岡田斗司夫 著

朝日新聞のサイトに「悩みのるつぼ」という

コーナーがあるのをご存知ですか?

www.asahi.com

 

私は、岡田斗司夫さんの存在をYouTubeで

知ったのがきっかけで、「悩みのるつぼ」

の存在を知りました。

 

この方、とても有名なのですが、

あまりに多才すぎて、こういう人です!と、

きっちり職業を紹介するのがとても

難しいです。

 

そこで、岡田斗司夫さんの本を

読んでみることにしました。

 

 

その1冊がこちら。

 

「占い師の話」

 

 

私は、過去に「占い師になっちゃおうかな〜」と、

軽い気持ちでお勉強を始めました。

ところが、なんか違うぞと占いに疑問を

抱くようになり、今に至ります。

 

でも、これがきっかけとなり、

読書をするようになりました。

 

この本は、私がこれまで疑問に思って

きたことを、スッキリと解決してくれて

いるばかりでなく、現在の占い師さんの

在り方に一石を投じる内容になっています。

 

 

 

 

岡田斗司夫さんが説く

占い師とは?

 

占い師の歴史

 

シャーマン的存在で、あらゆる問題に

答えを出してきたまじない師が、

占い師の原型。

 

なので、昔のまじない師は、多くの

知識(政治・経済・医学・錬金術・科学)

を持っていました。

そのため、彼らのひと言で、国が

丸く治ることもあり、次第に国家に

口出しするようになります。

 

影響力が絶大ですね。

 

ところが時代と共に、まじない師の

知識が、それぞれ独立をして、

専門的分野になった結果、

現在のまじない師の仕事いえば、

当たる当たらないではなく、

”開運”が主な機能となったそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

確かに!占い界隈のブログを見ると

当たる当たらないではないと言って

いる人が多い。かくいう私も、

友人を占った時、同じセリフを

吐いてたっけ。

 

こうして、現在の占い師さんの仕事が

なくなっているにもかかわらず、

相変わらず、人々の悩みは尽きず、

 

 

  • どうしたら彼が私を好きになりますか?
  • 不倫がやめられない。どうすればいい?
  • 会社を辞めたいけど、辞めるのが不安。
  • 自分に合っている会社なのか知りたい。
  • 子供が言うことを聞かない。
  • 貯金ができない。金運を見てほしい。

 

このように絶対に答えの出ない悩み

ばかりになってしまいました。

 

 

さて、占い師さんの現状がどのような

ことになっているか把握できたところで、

岡田斗司夫さんがこれからの占い師は

どうあるべきか?語れています。

 

結論!

 

かつての占い師(まじない師)に

備わっていた経済、思想、科学、

医学、政治などの知識を学ぶこと。

 

なぜなら、対応できる問題が

圧倒的に増え、昔の力強い占い師に

なれるから。

 

そして、悩みの解答をそのまま

言うのではなく、本人が勝手に

答えを見つけられるように

導ける人間になること。

 

最後に

 

一番重要なことは、

 

占いの方法を勉強すればいい占い師に

なれるわけじゃない!!ということ。

 

所詮、世の中で通用する、または

信用してもらえるのは、その人のキャラ。

 

商売としての”占い師”を

真面目に考え、キャラを強く

打ち出すということ。

ということでした。

 

 

私はこの本を読んで、どの分野でも

何かを始めるためには、戦略と、

キャラ作りが必要だということが

よ〜くわかりました。

 

私のようになんとなく、占い師に

なろうと思い立ち、高いお金を

払って、占いの勉強をしている人が

いたら、ぜひこの本を読んで

ほしいと思いました。

 

善人ほど悪い奴はいない ニーチェの人間学 中島義道 著

              

 

この本は、前にニーチェのことを

検索していた時に、とあるブロガーさん

のブログで見つけ、購入した本です。

 

実は、この本を読んで、

私は、心がひどく揺さぶら

れてしまいました。

 

とにかく強烈なパンチの連打が

続きます。

 

著者の 「弱者の定義」

 

「私(俺)は弱いから」という理由を、

臆面もなく前面に持ち出して、それが

相手を説得し自分を防衛する正当な

理由だと信じている人、自分が

社会的に弱い立場にいることに

負い目を感ずることがまるでなく、

それから脱する何の努力もせずに、

むしろ自分の弱さを当然のごとくに

持ち出し、「弱者の特権」を要求

する人のこと。

 

弱者とは、自分の無能力を、

自分の無知を、自分の怠惰を、

自分の不器用を、自分の不手際を、

自分の人間的魅力のなさを、卑下せず

恥じないばかりか、「これでいい」と

居直り、そればかりか「だからこそ自分は

正しい」と威張るのだ。

 

 

「弱いからしかたない」という言い訳を

すぐに担ぎ出す人は、弱者であることから

一ミリも動こうとせずに(なぜならそのほうが

ラクでトクだから)、自分を守ることだけを

心がけている。彼(女)は、弱者であることを

念仏のように唱えて、それにしがみつき、

あとはいかなる事柄においても常軌を逸した

行為を慎み、常識と習慣を重んずるようになる

(なぜならそのほうがラクでトクだから)。

だから弱者は、悪いことはしない。

善人の最大の罪は、鈍感であること。

つまり、自分自身をよく見ないこと、

考えないこと、感じないことである。

 

この本を読み始めた時点では、まさか

自分が弱者側だと、思いもしなかったので、

弱者はこんな人だと、著者に説明されると、

 

うんうん。

そうそう

こういう人

いるよね〜。

 

と、まるで他人事のように

うなづいていた。

 

ところが、読んでいるうちに

あれれ💦

自分も充分、弱者じゃないか。

と、気づかされる。

 

私がこの本を読むまでのニーチェの

イメージは、弱者の嫉妬深さを

徹底的に否定し、「神はいない」と

あの時代に言い切る勇気があるのだから、

ニーチェはきっと超人に違いないと

思っていた。

 

けれども本の最後に書かれている

ニーチェ自身の姿は、イメージとは

かけ離れていた。

 

よくよく考えてみれば、ニーチェの

弱者的な部分は、人間であれば、

多かれ少なかれ、持っているのでは?

 

そして、この本の強烈な言葉を読んで、

著者も、自分の主観(正義)で

弱者を激しく否定しているのだから、

著者も十分弱者では?

 

ずっと、もやもやした気持ちで

読んでいた。

 

 

p153

他人に向かう刃がぐるりと回転して

自分に向かっていることに気づかない

その鈍感さ(「自分は偉いのだ!」と

ひたすら叫ぶ男の愚かさと言ってもいい)が

みじめでさもしい、そう思った。

 

 

ところが、ようやくこの文を読んで、

著者が、私たち読者に自覚させようと

強烈な言葉を使っていたことに気がついた。

 

そして、これまで自分が良かれと思って、

やっていた行為がどれほど正義の

押し付けであったかを知ることが

できた。

 

自分が善人(弱者)だということを

自覚するのは、本当に難しいね。

 

でも、今回この本を読むことができて、

また、違う世界が広がった気がした。

 

やっぱり、本はいいね〜。

 

この年齢で本の面白さに

気づくなんて、情けない。

 

いや、生きている間に

気づけてよかったよ。

 

 

ところで、私はこの本をAmazonで

購入したんだけど、今見たら、

Kindle unlimitedになってるのよ。

もう〜😭

タイミング悪いったらないわね。

 

 

「うまくいっている人の考え方」 ジェリー・ミンチントン 著

pixabay

 

 

まだギリギリ6月だというのに

梅雨明けだって。

 

iPhoneの天気予報には、

実家の川崎と、姪っ子が住むフィリピン、

いつかは住みたいと思っているマレーシア。

そして、自分の住む名古屋の情報が

すぐ見れるように登録してある。

 

驚くことに赤道直下のマレーシアや

フィリピンよりも我が街名古屋は、

気温が高いことが判明。

あーやだやだ。💦

 

やだやだついでに

 

今日は、ちょっとした同僚の愚痴。

 

先日、同僚が突然メールを送ってきた。

内容は、延々続く上司の不満だった。

 

怒りの感情を他人に共感してもらいたい

気持ちはよくわかるので、この時、

そうなんだーと、聞くだけならできた

のだけど、「あなたは上司をどう

思うの?この体制でいいと思う?」と

私に意見を求めてきた。

 

関係のない私を巻き込もうとしているのが

明白だったので、返事に悩んだ。

 

愚痴ってきた内容は、彼女自身が

乗り越えるべき問題だった。

 

私は、今の仕事にやりがいを感じているし、

度々変わる上司にそもそもなんの期待も

していないので、不満もなければ、

言いたいこともないと正直に自分の

気持ちを伝えた。

 

 

返信した後、他に言い方は

なかったのか?同僚を切り捨てて

しまったみたいでなんとなく後味が

悪かった。

 

そんな時、Kindleunlimitedで

勧められた本がこちら。

 

 

「うまくいっている人の考え方」

  ジェリー・ミンチントン 著

 

 

               



 

49 

他人の反応を気にしない

意図的に他人を怒らせたり不愉快な

思いをさせたりするのでないかぎり、

その人の反応に責任を負う義務はない。

自分の感情に責任を負うだけでも十分

たいへんなことなのだから、他人の感情に

対してまで不要な重荷を背負う必要はない。 

 

 自分の感情は自分の責任。

 他人の感情は他人の責任。

 

 

これを読んで、ちょっとホッとした。

昔の私だったら、どうだったか?

きっと、彼女の感情に共感し、

調子に乗って、上司の悪口を

一緒になって言ってたかもしれない。

 

そう思うと、少し成長できたかも

しれない。

本を読むってそういうことなんだと

改めて思った。

 

 

 

「アンチ整理術」 森 博嗣 著

          x

 

 

 

先日、図書館で本を探していたら、

急にトイレに行きたくなり、

慌てて目の前にあった本を選んだ結果、

この本と出会うことができました。

 

著者は、森博嗣さん。

 

どこかで聞いたような気がするけど、

ごめんなさい。どんな人か知りません。

 

ということで、調べてみました。

 

 

工学博士で、小説、随筆も書いてる〜

天才作家と言っている人が多かった。

代表作品は「すべてがFになる」

早速、Amazonでポチってしまった。

 

タイトルにアンチとついて

いますが、私は、「整理・整頓」は、

どんな分野でも効果があると思って

います。

 

例えば、料理。

 

キッチンがぐちゃぐちゃでも

料理は作れると思いますが、

調理器具を準備していなかったり、

調味料を探している間に具材を

焦がしてしまうなど、ミスが

起こりやすい。

 

 

でも、この本を読んで、創造力を

必要とする分野では、整理・整頓

することで素晴らしいものが

生まれる保証はないということ、

そして、「整理・整頓」を一番必要と

しているのは、わたし達の思考(心)だと

いうことがわかりました。

 

 

 

著者の言葉を借りると

*自分自身を整理・整頓する

 

- 自身の現状や未来を考え尽くすこと。

- 本質は何か?考え抜くこと。

- 自分が生きるうえで、一番大事なことは何か?

- 目指しているものの本質は何か?

 

具体的にこうやって片付ければ、

運気があがるとか、仕事効率が

あがるとか、そういうものではない

のだそう。

 

 

私にとって一番大事なことは

なんだろう。

やっぱり、生きる時間と、家族。

そして、自分の成長。

自分を改善したい。

 

ところで、本質とはなんだろう。

著者によれば、

お金を払ってでも知りたい。

何かしなきゃという焦り、

自分を改善したいという気持ちに

何をすべきかという疑問が

本質とのこと。

 

私も知らないことを学びたい

という気持ちで溢れている。これは

自分を改善したいという思いが

強いということ。

 

どうしたら改善できるのか?

 

 

 

 

p193

『発想する→考える→確かめる

→やり直す→ほとんどが無駄になる』

 

p199

とにかくとことん考えること、

悩むこと。そうすることで、頭の

中が整理されてきます。

考えに考え抜くという行動を、

普通の人はほとんどしないのでは

ないでしょうか。

 

考えると滅入ってくる、なんて

いいますね。

滅入れば良い。とにかく、考える。

もし、どうしてもこれ以上は考えられ

ない、となったら、何か行動してみる。

部屋を片付けるのも良いし、十六万円を

払って講座に行くのも良いと思います。

 

 

なるほど。行動して、ほとんどが

無駄になったとしても、受ける前と

後では、自分の視点が変わって

いるかもしれないということですね。

 

本も同じで、自分にとって、

かなり高価な1冊でも

買いたい!読みたい!と

思った気持ちが本質。

 

行動する前と行動した後では、

きっと何かしらの

変化が起こっているはず。

 

大切なのは、

 

考え抜き、行動すること。

 

_φ(・_・メモメモ

 

 

 

 

* 問題の原因は自分の理想にある。

 

どうして自分は思い通りに

生きられないのか

と悩む若者が多い。

結論は、理想が高すぎるから。

理想と現実のギャップが問題。

 

 

我々世代なら、テレビに登場する

アイドルを見て、自分もあんな風に

可愛くなりたいと思い、似たような

洋服を買い、化粧をしてみる。

 

                     

 

最後にアイドルと同じ髪型に

してもらい完璧!✨✨✨✨

 

明日友達に会ったら、

みんな羨ましがるに決まってる。

 

ウシシシシ。 ( ̄▽ ̄)

 

が!

 

美容室の鏡に映る自分の

姿は、アイドルとはかけ離れて

いた。

     

 

そして、美容師さんに「私の希望した

髪型と全く違う!と詰め寄るも

後の祭り。

 

 

理想と現実が一致すれば、何の

問題もないのだけど、そう簡単では

ない。

 

私も他人のブログやSNSを見ては、

ため息をつき、ブログを更新するのが

恥ずかしくなる。

 

 

著者の提示する解決方法は二つ。

 

理想を修正する。

高望みしていないか反省し、

現実味のある理想に変更する。

 

 

優秀な人たちが読んでいる本を

私も読んでみたい!と思って、

本を買っても所詮、土台が違うから

理解できないのよね。

 

この本を読んで、

現実の自分ともっと向き

合わないといけないな〜と

思いました。

 

 

p247あとがき

たぶん母も、整理・整頓が不得意だったのだろう。

人間、自分が苦手なことを克服することに大きな喜びを

感じるものだ。

 

やっぱりそうなのか。

私は人に何かを伝えることが

何より苦手。

私も克服することに喜びを

感じたくて、ブログを続けて

いるんだと、今更ながら気づく。

 

 

そして、一番大事なことは、

どうやってと方法論を

考えることではなく、

どこへ向かっていきたいかである。

 

文章を書いていてもそうだけど、

主張が定まらない。つまり人生の目的も、

主張もうやむやのまま、この年まで

生きてきてしまった。

 

残りの人生、私はどこへ向かって

歩き出そうか。

これまで何も考えずに生きて来て

しまったので、目的を定めることは

とても難しい。

 

でも、第2の人生と呼ばれるこれからの

時間は、大学生になったつもりで、

視野を広げるために読書の旅に

出ようと思った。

 

 

神も仏もありませぬ 佐野洋子 著

          

 

 

 

佐野洋子さんの本。

私は、7年前に「死ぬ気まんまん」

という本を読んでいます。

でも、当時の私は、子育てが

終わっていなかったせいか

どこか他人事で、ピンと

来ませんでした。

 

そこで、もう一度読んでみようと

探したのだけど見当たりません。

仕方なく、先日図書館に行った際、

目に留まったこの本を読むことに

しました。

 

佐野洋子さんといえば、

「100万回生きた猫」ですよね。

息子に読んであげたことが

ありますが、読んでいる私の方が

感動したのを覚えています。

 

この本は、佐野洋子さんが60代の時に

書いたエッセイ。初版は2003 年。

 

 

人が年を取るのは何の不思議もないの。

あの人も年よねェ、私も年よねェ、

わかっているの。

でも鏡を見ると、「ウッソー、こ、

これ私、ウッソー」

って」思ってしまうの。

 

 

めちゃくちゃわかるぅ〜〜〜

 

明るい照明のある洗面台と違い、

リビングで、私の父親とFaceTimeで

会話する時に映し出される私の顔は、

びっくりするほど皮膚が垂れ下がり、

一瞬、どこの爺さん?(婆さん

じゃないところが味噌)と

思ってしまうのだ。

 

しかも、同じくスマホに映る

しわくちゃの父親の顔と私の顔が

そっくりで、愕然とする。

 

昔、清水なんとかというモノマネ芸人が

研ナオコの真似で顔にテープを貼って

いたが、私も顔中にテープを貼りたくなる。

 

痛いところもなく、体力もあるので、

年齢を忘れ、他人と会わず、鏡がなければ、

私は、ずっと小学生の時のままなんだけどな〜

チェッ

 

 

p64「フツーに死ぬ」

著者の飼い猫、フネが全身がんになって

しまう。著者は手術を断り、最後は

家で普通に過ごす選択をする。

 

この章は、私の飼っていたメス猫の

トモちゃんを思い出した。

 

14歳を迎えた頃から、やけに水を

飲むようになったので、動物病院で

診てもらうと、腎臓を患っていた。

老齢の猫に多いそうだ。

手術や薬で治るのか聞くと、無理だと

言うので、人間でいうバリアフリー化を

目指し、いつでも水が飲めるよう

部屋中に水を配置。食べやすい姿勢が

取れるように食事台を置いてあげるなど、

工夫した。

成果があったのか、なかったのか?

彼女は、最後まで、自分の足で

トイレに行き、亡くなる数時間前

まで、食事をしていました。

 

猫が高齢になったら、お世話が

大変だと聞いていたのに

ボランティアさんから頂いてきた

時から病気知らず。

手のかからない子で、亡くなる

時も私たちが寝ているすきに

旅立ってしまった。

 

16年の猫生でした。

 

フネは部屋の隅にいた。

クエっと変な声がした。

振り返ると少し足を動かしている。

ああ、びっくりした、死んだかと

思ったよ。二秒もたたないうちに、

また、クエっと声がして、フネは

死んだ。全然びっくりしなかった。

 

私は毎日フネを見て、見るたびに、

人間がガンになる動転ぶりと比べた。

〜略〜

私はこの小さな畜生に劣る。

この小さな生き物の、生き物の宿命で

ある死をそのまま受け入れている目に

ひるんだ。

私がフネだったら、わめいてうめいて、

その苦痛をのろうに違いなかった。

 

私はフネのように死にたいと思った。

人間は月まで出かける事ができても、

フネのように死ねない。

 

 

本当にそうなんだよね。

以前、私もがんを疑われただけで、

「なんで私が?」なんて涙を

流して狼狽えた。

本当に情けない。

 

私がこれまで飼っていたペット

だけでなく、周りを見渡せば、

カラスや雀、鳩だってそう。

 

彼らは人間より尊い。

 

 

 

p40

そう云えば、九十七歳の友達の母親が、

「洋子さん、私もう充分生きたわ、

いつお迎えが来てもいい。

でも今日でなくてもいい」と云ったっけ。

 

 

人間は、100歳まで長生きしても

お迎えは、今日じゃない方がいいと

思うものなんだね。

 

 

 

 

生きるための哲学 白取春彦 著

今日の本は、Kindle Unlimitedで

哲学系の本を探していた時に

見つけたもの。

 

      



「生きるための哲学」 白取春彦 著

 

ニーチェ  2「強く生きる」とはどういうことか

 

信念を持って強く生きているように

見える人は、おそらく一つの観点から

のみ世界を眺めている。

そして、その一つの見方、一つの

解釈で、物事にあたっている。

ゆるがない。ぶれない。その態度は強い。

 

悩んでいる人、深く迷っている人は、

観点を持っていない。絶対と信じる価値観を

持っていない、何を大とし何を小とするかの

基準を持っていない、あるいは精神の倫理を

持っていない、と言い換えることができる。

 

いつも同じ一つの観点から物事を見ようとせず、

あれこれと他の観点を参考にしたりする人は

ゆらぐことが多い。

 

悩んでいる人、深く迷っている人は

観点を持っていない

絶対と信じる価値観を持っていない

 

数年前の私は、インフルエンサーのように

何事にも自信満々で、言い切れる人を

羨ましく思っていた。

 

当時、なぜ彼らを羨ましく思ってたか

というと、私は、この本で、言われて

いるように自分の観点がなく、自信が

なかったからだ。

 

なぜ自信がないのか?

それは教養がないことを自覚していたから。

そして、今もそのコンプレックスと戦っている。

 

読書を続けていけば、いつか

自分の中に固定観というものが

生まれてくるかもしれないと、

読書を続けてきたが、読めば

読むほど、揺らぐばかりだ。

 

でも、最近投資をしていてわかってきた

ことがある。

 

私が投資を始めたばかりの頃、

口座の開き方や株の買い方を

YouTubeを見ながら学んでいた。

そのせいもあって、投資系YouTuberの

動画も見るようになった。

 

そして、あるYouTuberが勧めていた

個別株をほんの少し買った。ところが、

数ヶ月後には、そのYouTuberが売りだと

いうので、慌てて株を売った。

結果的にはほんの少しプラスに

なったのだけど、仕事や家事で

忙しい私には向かない投資法だと

思った。

 

この経験で、YouTuberもそれぞれ

投資方法が違うことを知った。

 

若くてこれからまだまだ

稼げる彼らと、還暦を迎えようと

している私とでは、背景が全く

違うのだから、投資方法は

違っていて当たり前。

 

だから、彼らの言葉にすぐに

反応するのではなく、情報として、

受け取って、自分なりに投資先を

決めようと思った。

 

 

不安だから、なんらかの強力な固定点が

欲しくなる。その固定点を外に求めて

自分のものにしようとするか。

もしくは、不安を抱えながらも、

そのつど一つ一つ自分で考えて

判断していこうとするのか。

どちらが強く生きようとする人の

態度であろうか。

 

どちらが強く生きようとする人の

態度か?

 

今の私なら、両方と答える。

 

結局、私は、正解が欲しくて

強い発信力の人に憧れていた

だけなのだろう。

 

でも、投資をしているうちに

正解は自分で決めるしかないことを

学んだ。

 

そして、本をたくさん読めば

揺らいで当然だということにも

気がついた。

 

なので、読書は、固定点を求めるのでは

なく、人生は投資と考えて、

自分が決断するときの一つの材料

だとこの本を読んで、再確認した。

 

 

 

〜余談〜

 

本格的に投資を始めたのが2020年。

円高の時に購入しているので、

今年に入って、かなり株価が

落ちてきたのにずっとプラスの

ままだった。

 

ところが今週に入って、

かなり大きく暴落したので、

百万円以上のマイナスになってます。

 

でも、そんなの関係ねぇ〜

今年こそ、買い時。

 

そう信じて、コツコツ買い続けて

おります。

 

      



 

 

 

落語にハマる

    

先日コロナに感染し、

高熱が出ることはなかったものの

ダルくて、久々に寝込みました。

 

でも、そこそこ元気なもんだから、

退屈で、ついついスマホを見ちゃう。

 

ところが目が痛くてたまらん。

 

そこで、思いついたのが、💡

以前友達から勧められた

 

「志の輔落語」

 

YouTubeを探したら、たくさん投稿

されてる。これって、まずいのでは?

と思いつつも聴き始めたら、どハマり。

 

今じゃ夜寝る前、枕元にスマホを置いて、

クスクス笑って寝落ちするのが

ルーティンになってしまったほどだ。

 

昨日も、師匠の「猿後家」を

聞いていたら、落語は、日本語だから

こそ成り立つと言っていた。

 


www.youtube.com

 

 

英語の場合、自分のことは、Iしかない。

相手が目上であろうが年下だろうが

全てyou。

 

日本語なら私、僕、俺、おいら。

おまえ、あなた、貴様、てめぇ、

いろんなのがある。

 

男1   こんにちは!

男2   お!なんだお前か

 

と表現しただけで、どっちが目上かわかる。

日本語はいろいろ使い分けができて、

便利な言葉だと師匠が枕で言ってた。

 

枕っていうのは、落語家(噺家)が

舞台(高座と呼ぶ)に登場し、座布団

の上に座り、お客さんに来てくれて

ありがとうと、感謝を述べた後、

その時々の時節や時事に触れ、笑いを

とりながら、会場を和ませ、その話題が

演目にスムーズに入るためのお話のこと。

 

海外でも一人でやる芸能はいくら

でもあるけれど、落語という芸能は

世界でみてもとても珍しいのだそうです。

 

噺家がストーリを語り出し、

お客さんがそのストーリの中に

入っていかないと成り立たない。

 

お客さんの頭の中で噺家さんの語る

物語がどのようにイメージできるかは、

噺家さんの腕の見せどころ。

 

こんなに落語にハマっている私ですが、

実を言うと他の落語家さんの

ことは全く知りません。

ということで、落語のことを少しは

勉強してみようと思い、手にとった

本がこちら。

 

 

「落語はこころの処方箋」

立川談慶 著

 

志の輔さんと同じ、談志一門の方。

 

 

落語とは?

この著者の師匠、故・立川談志さんは

「落語とは、人間の業の肯定である」

と言っていたそう。

 

落語を聞いていると、登場人物の

ほとんどが、しょうもない人たちばかり。

落語は、「人間なんてみんなそんな

もんだよ」と認めてくれる。

そして落語に出てくるのは「人間の業」

ですから、誰もが「そうそう、人間って

ダメなんだよね」と共感できます。

だから落語を聞いていると、自然と

共感力が身に付くんです。

 

 

志の輔師匠の「みどりの窓口」という創作

落語では、窓口の職員と訪れるお客との

やりとりがある。

 


www.youtube.com

 

この職員とお客さんとのやりとりは、

身近なことでもあるし、客とのやりとりに

困惑する職員と自分を重ね、こんな客来たら

やだな〜という共感力なんですよね。

 

先日、『正義を振りかざす「極端な人」の正体』

という本を読んでいることもあり、落語という

素晴らしい文化を持つ日本人なのに、

私たちはいつからこんなに不寛容になったん

だろうと思った。

 

落語を聞けば、心がホッとします。

「なんとかなるさ」と呑気に暮らす

人々がいて、「しょうがねえなあ」と

折り合いをつける世界があります。

 

 

折り合いをつける世界・・・

 

今、私の目の前にいる腹立たしい

同僚も、この落語の世界の

登場人物にしてしまえ。

 

「ちっ!しょうがねえな」と

言ってしまえば、それこそ私も

落語の世界の登場人物になれるって

わけです。