善人ほど悪い奴はいない ニーチェの人間学 中島義道 著

              

 

この本は、前にニーチェのことを

検索していた時に、とあるブロガーさん

のブログで見つけ、購入した本です。

 

実は、この本を読んで、

私は、心がひどく揺さぶら

れてしまいました。

 

とにかく強烈なパンチの連打が

続きます。

 

著者の 「弱者の定義」

 

「私(俺)は弱いから」という理由を、

臆面もなく前面に持ち出して、それが

相手を説得し自分を防衛する正当な

理由だと信じている人、自分が

社会的に弱い立場にいることに

負い目を感ずることがまるでなく、

それから脱する何の努力もせずに、

むしろ自分の弱さを当然のごとくに

持ち出し、「弱者の特権」を要求

する人のこと。

 

弱者とは、自分の無能力を、

自分の無知を、自分の怠惰を、

自分の不器用を、自分の不手際を、

自分の人間的魅力のなさを、卑下せず

恥じないばかりか、「これでいい」と

居直り、そればかりか「だからこそ自分は

正しい」と威張るのだ。

 

 

「弱いからしかたない」という言い訳を

すぐに担ぎ出す人は、弱者であることから

一ミリも動こうとせずに(なぜならそのほうが

ラクでトクだから)、自分を守ることだけを

心がけている。彼(女)は、弱者であることを

念仏のように唱えて、それにしがみつき、

あとはいかなる事柄においても常軌を逸した

行為を慎み、常識と習慣を重んずるようになる

(なぜならそのほうがラクでトクだから)。

だから弱者は、悪いことはしない。

善人の最大の罪は、鈍感であること。

つまり、自分自身をよく見ないこと、

考えないこと、感じないことである。

 

この本を読み始めた時点では、まさか

自分が弱者側だと、思いもしなかったので、

弱者はこんな人だと、著者に説明されると、

 

うんうん。

そうそう

こういう人

いるよね〜。

 

と、まるで他人事のように

うなづいていた。

 

ところが、読んでいるうちに

あれれ💦

自分も充分、弱者じゃないか。

と、気づかされる。

 

私がこの本を読むまでのニーチェの

イメージは、弱者の嫉妬深さを

徹底的に否定し、「神はいない」と

あの時代に言い切る勇気があるのだから、

ニーチェはきっと超人に違いないと

思っていた。

 

けれども本の最後に書かれている

ニーチェ自身の姿は、イメージとは

かけ離れていた。

 

よくよく考えてみれば、ニーチェの

弱者的な部分は、人間であれば、

多かれ少なかれ、持っているのでは?

 

そして、この本の強烈な言葉を読んで、

著者も、自分の主観(正義)で

弱者を激しく否定しているのだから、

著者も十分弱者では?

 

ずっと、もやもやした気持ちで

読んでいた。

 

 

p153

他人に向かう刃がぐるりと回転して

自分に向かっていることに気づかない

その鈍感さ(「自分は偉いのだ!」と

ひたすら叫ぶ男の愚かさと言ってもいい)が

みじめでさもしい、そう思った。

 

 

ところが、ようやくこの文を読んで、

著者が、私たち読者に自覚させようと

強烈な言葉を使っていたことに気がついた。

 

そして、これまで自分が良かれと思って、

やっていた行為がどれほど正義の

押し付けであったかを知ることが

できた。

 

自分が善人(弱者)だということを

自覚するのは、本当に難しいね。

 

でも、今回この本を読むことができて、

また、違う世界が広がった気がした。

 

やっぱり、本はいいね〜。

 

この年齢で本の面白さに

気づくなんて、情けない。

 

いや、生きている間に

気づけてよかったよ。

 

 

ところで、私はこの本をAmazonで

購入したんだけど、今見たら、

Kindle unlimitedになってるのよ。

もう〜😭

タイミング悪いったらないわね。