「死の壁」養老孟司 著

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pixabay

 

 

前回紹介した「バカの壁」を

ポチったら、Amazonさんが

この本もどうぞと

勧めてきたので、一緒に

購入しました。

 

死ぬのが怖いというのは、

どこかでそれが存在して

いると思っている、一人称

の死体を見ることが

出来るのではという誤解に

近いものがあります。

 

極端に言えば、自分にとって

死は無いという言い方が

出来るのです。 

 

そうなのよね。

自分が死に直面している時、

あれ、私死ぬの?って

思っている時点で、まだ

死んでいない。

 

意識が全くなくなった時、

すでに私は存在していない

のだから、私の死を見ること

は不可能。だから死ぬこと

はない。

 

頭ではわかってはいるん

だけどね。

つい、考えちゃうよね。

自分が灰になってしまう恐怖。

 

 

考えるべきは「一人称の死」

ではなく、「二人称の死」

「三人称の死」です。

そこがつい逆になりがちの

ようですが、自分の死ではなく、

周囲の死をどう受け止めるか、

ということのほうが、考える

意味があるはずです。

 

 

今、Netflixで

「グッド・ドクター名医の条件」

というドラマにハマっていて、

まさにこの「二人称の死」の

場面がありました。

 

 

<シーズン2・2話>

父親が、末期のガンで、

何もしなければ、余命2〜3ヶ月。

かなりリスクの高い手術だけど、

成功すれば長生きできるかも

しれない。

 

そんな選択に迫られた家族。

 

父親は、悩んでいたけど、家族

の勧めもあり、父親は手術を

選んだ。

 

けど術中に亡くなってしまう。

 

その知らせに驚き、なぜ

手術を父親に勧めて

しまったのか、家族は

互いを責め、険悪なムードに。

 

これを見ていて、私の両親に

何かあって、意識がなかった

場合、私一人で、その決断を

下さなければならないんだと

思ったら、怖くなってしまった。

そして、いずれ来る

自分の親の死を

受け入れる心の準備が

必要だということ。

 

 

 

人事にせよ、死にせよ、いずれも

「なかったことにする」ことは

出来ません。

死は回復不能です。

一度殺した蠅を生き返らせる

ことは出来ません。

だから人を殺してはいけないし、

安易に自殺してはいけない。

安楽死をはじめ、死に関する

ことを簡単に考えないほうが良い。    

〜略〜

ふだん、日常生活を送って

いるとあまり感じないだけで、

実は毎日が取り返しが

つかない日なのです。

今日という日は明日には

無くなるのですから。

 

 

どんなに頭でわかっていても 

ここに気づくのは、身近に

「死」の存在が消されて

しまっている今の時代、

なかなか難しい。

そして、こんな話題を周囲で

している人がいたら、

速攻やばい人認定されちゃう

もんね。

 

ところで、昔読んだ、

開高健さんの本に

眠りは、「小さな死」という

表現があった記憶があります。

(確か、男女の情事の後のこと

だったはず。)

 

私たちは、毎晩「今日」という

1日の死を体験しているんだと

思うと、朝が来てまた自分に

戻るということは、やはり

輪廻ってあるのかな〜って

思ってしまうのでした。