「余計な一言」 斉藤 孝 著

今日の課題図書は、

「余計な一言」 斉藤 孝 著

 

私は育ちが良くないせいか

言葉遣いが汚いことと、

思ったことをそのまま口にして

人間関係を拗らせておりました。

 

なので、「余計な一言」を

言っている自覚は、そこそこあります。

でも、大概人間は自分に甘いもの。

 

以前から気になっていた

今日の課題図書。

 

読めば、自分の自覚を、

はるかに超えて来るだろう

という憶測から、なかなか

手を出せずにおりました。

 

でも、人生100年と考えると、私は

今、折り返し地点に立っている。

 

残りの50年を、これまでと同じ過ちで

終わらせたくない。

 

大袈裟かもしれないけど

そんな気持ちから、とうとう

この本をポチってみることに

しました。

 

この本で一番ドンピシャだったのが、

  • 本音を言うな
  • 真実は黙すべき

 

 

言ってるな〜

特に旦那。

 

でも問題は、友人や同僚へ

なんの意図も悪気もなく

言い放っていた本音。

 

申し訳ない。

 

 

本音を言うことにはさしたる

意味がない、という認識も

必要です。

本音を言わないと気分が悪い、

不誠実な気がすると考える人は、

その本音イコール自分であると

思ってしまっています。

 

しかし、その「本音」だと思って

いることだって、永久不変とは

限りません。

いま「本音」だと思っているもの

も、新しい情報が一つ加わるだけ

で、ガラッと変わってしまうかも

しれません。

 

絶対の真理だと思っているけれど、

表面的な好き嫌いや思い込みや

偏見だということもよくあるのです。

 

 

ほんとにそう。

自分の価値観や思い込みから、

言い放ってしまった言葉も

時が経てば、自分の考え方は

変わっていく。

 

昔、私のヨガの師匠であり、

マッサージを教えてくれていた

女性が起業するというので、

彼女のもとで、一緒に仕事を

することになった。

 

当時の私は、今のような価値観が

なかったので、彼女に対して

勝手に失望し、本音をぶつけ、

その仕事をやめてしまいました。

 

今思えば、私はなんと幼稚

だったか・・。

 

いつか会う機会があったら、

本当にお詫びしたいと思って

いる。

 

自分の話を客観的に見る機会は

ありません。

話し合いの場を外側から見ると、

自分の話ばかりしている人と

いうのは、とても目立ちます。

 

他人の話を取ってしまい、自分の

話につなげてしまう人を見ている

と、他人のことながら、とても

恥ずかしくなってきます。

 

 

あ〜〜

耳がイタタタですね。

 

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私は、相手が自虐ネタを持って

くると、つい自虐ネタを返して

しまい、自分の話に持っていく

習性があったので、今は、

それが出てこないように努力を

しています。

 

 

著者がYahoo!ニュースコメント

欄を見て

 

Aさんについて、誰かが

最初に「悪い」と決めつければ、

何万人もの人がすぐそれに

同調する。しばらくして、

Aさんは実は被害者で「悪く

なかった」ことが報道でわかると、

今度は掌を返したように

同情したり、褒め称えたりして、

時にはヒーロー扱いまでして

しまいます。

 

少し前のバッシングはすべてが

「余計な一言」に変わって

しまう。あまりの無責任さに

少々呆れてしまいます。

 

つまりここからわかるのは

「レッテル貼り」の不毛さです。

 

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これは、学校や職場でも噂話から

始まって、同じことが

ありますよね。

 

かわいい噂話で終わればいいですが、

ドラマなどのイメージをそのまま

受け取り、SNSで、誹謗中傷を投げ

つけるなどの話は、後を立ちません。

 

しかも暴言を吐いている人たちは、

ほとんどの人が普通の人で、

全く自覚がないことが問題。

 

気が付かない間に自分が加害者に

なっているかもしれない恐ろしさ。

 

やっぱり、「余計な一言」を

なくすには、自分に気がつくこと

だと思いました。