「バガヴァッド・ギーターの 世界」 上村勝彦 著 ①

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pixabay

 

 

私は以前、夜寝る前に

田中嫺玉さんや、熊澤教眞さんの

「バガヴァッド・ギーター」を

少しずつ読んでいました。

 

でも、読んでも読んでも

その意味がいまひとつ掴み

きれなくて、途中で脱落。

 

トホホ

 

でも、諦めの悪いところが、

私のいいところ。

 

道教→神仙思想→密教まで

来れたんだから、次は

ヒンドゥ教までいけるはず。

 

そんな気持ちもあって、

初心者でも読みやすいと噂の

 

 上村勝彦さんが書かれた

「バガヴァッド・ギーターの世界」

 

そろそろ私にも読めるかも💕

期待を込めて、Amazonで

ポチり。

 

 

本が届くやいなや、パラパラと

開いて、所々読んでいくと、

あれれ?解説がめちゃくちゃ

わかりやすい!!

 

これまで、仏教関連の

本を読んできて、よかった。

 

う〜報われた〜。泣き

 

 

ということで、この

「バガヴァッド・ギーターの世界」を

読んで、わかったことや、感想などを

何回かに分けて、投稿していきたいと

思います。

 

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その第1回として、今日はこちら。

 

P47

一般の世間を捨て、社会的な

行為を捨てよ、と教える宗教も

ありました。

 

初期仏教もそういう宗教の1つ

でした。初期仏教では、

繰り返し繰り返し一般の社会を

捨てよ、社会人たることを捨て

よと説かれています。

 

初期仏教の教えは、一般の

社会常識に反する教えが多く、

 

その教えでは一般の社会人は

救われないと思うのです。

 

だからこそ大乗仏教が出て

きたのでしょう。

 

ヒンドゥー教の方でも、

「ギーター」の場合は、

社会を捨ててはいけないと

強調し、あくまで現実の

社会生活を全うすべきで

あると主張しております。

 

 

 

これを読んで、梅原猛先生の

「空海の思想について」という

本を思い出し、読み返して

みました。

 

 

「空海の思想について」

梅原猛 著

 

P54

そういう超越的な悟りの生活を

送ったとしても、この世は

よくなるものではない。

 

人里から離れ、清浄なる悟りを

楽しむ仏弟子たちよ、汝は己の

清浄さ、己の悟りを否定し、

もう一度人間のもとに、世俗の

もとに帰らねばならないのでは

ないか。

 

まさに龍樹らによって起こされた

大乗仏教の思想は、このような

伝統仏教の世俗否定性に対する

批判から起った。

 

 

龍樹とは、ナーガルジュナと

いう2世紀ごろにインドで生まれた

仏教僧で、諸説ありますが、

大乗仏教を確立させた人。

 

密教の祖、または大乗仏教の

始祖と呼ばれています。

この龍樹の思想が、中国へ

わたり、何代か経て、空海へ

伝わるわけです。

 

 

P104

密教は、現実世界にたいして、

きわめて肯定的な仏教である

P108

密教は、何よりも、

強烈な生命力を説く仏教である。

 

確かに。山で一人孤独と戦いな

がら、修行も辛いけど、人間とし

て、生まれてきたんだから、

欲にまみれたこの社会で生きる

ことも修行のはず。

 

ということで、真言密教は、

ヒンドゥー教の思想にとても近い

ということがわかりました。

 

さて、「バガヴァッド・ギーターの

世界」に戻します。

 

合戦が今まさに始まろうと

している中、勇士アルジュナは

敵軍に大勢の親類、友人たちが

いることを悲しみ、戦うことを

迷います。

 

そこで、クリシュナは、アルジュナ

に、心の弱さを捨てて立ち上がれと

励まし、教えを説きます。

 

P41

は、決して生まれず、

死ぬこともない。

は生じたこともなく、

また存在しなくなることもない。

不生、常住、永遠であり、

太古より存する。

身体が殺されても、

殺されることがない。

 

 

*彼(個人の中心主体)

 

 

 

 

いやいや、そうは言っても

人を殺していいという

道理はないよね。

「ギーター」って、人を

戦争に駆り立てる教えなの?

そう思うのが普通でしょう。

でもそれに対して、

 

 

苦楽、、損得などのすべての

相対的なことを離れ、

すべてを平等に見れば、

我々はもはや行為の結果に

束縛されることがない。

 

これこそ「ギーター」が

繰り返し強調するところです。

結論をいって仕舞えば、平等

の境地が実現すれば、ヨーガが

完成し、悟りの境地に至る

ことができる。

すべてはそこで渾然一体と

なって、あらゆる相対的な

ものが消え失せてしまうと

説いているのです。

 

 「平等の境地」?

 

それはどんなものなんでしょう。

これについては、また次回に

します。