続くかな?シリーズ「禅の開祖」

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 禅と聞くと、スティーブ・ジョブスが読んでいたとされる「弓と禅」という本が有名ですね。うちの息子が、部活動で弓道をしていたこともあり、過去に読んでみようと試みましたが、難しくて断念。

でも今なら読める気がするのだけど、その前に「禅」を学ばないと理解できないと思ったので、「禅」の歴史を調べてみました。


 禅は、元々、大乗仏教の中の「禅宗」という一派から始まっています。そして、この「禅宗」を南インド出身の達磨(ボーディダルマ)という僧が、中国に渡り、広めたと言われています。


場所は中国。502年〜557年に存在した王朝「梁」の武帝は、はるばる仏教の本場、インドから偉い僧がやってきたというので、早速教えを説いてもらうため、達磨を訪ねました。



武帝

私は、多くのお寺は建てたし、写経もしたよ。だから、私はたくさん功徳を積んだことになるよね?

達磨

功徳はない!   キッパリ

武帝

な・・なら、💦 仏教の悟りとは何か?

達磨

何もないことだ


武帝


だったら、おまえは何者だ?


達磨


知らぬ

 

武帝


はぁ????


武帝さん、達磨から、功徳をたくさん積みましたねと、お墨付きをもらえると期待していたのに残念〜〜〜

 

このあと、達磨は、武帝のもとを去り、少林寺というお寺で、9年間座り続けたそうです。

このお寺で修行していた僧たちは、最初はインドから偉い人が来たと喜んでいましたが、ただ座っているだけの達磨に痺れをきらし、とうとう一人の男が「どうか仏教の真髄を教えてください」と訴えました。ところが、達磨の反応は全くなし。

そして、この男性は、自分が本気であることを明かすためになんと!!自分の腕を切り落とし、達磨に向けて放り投げ、懇願したのでした。

すると、達磨は、やっと振り向いてこの男に「慧可」という名を与え、弟子としたそうです。


達磨の弟子となり修行に打ち込む慧可でしたが、ある日、達磨にたずねます。

慧可


こんなに頑張って修行しているのに、私の心は不安に溢れ、醜く汚れております。どうすればいいのでしょうか?

達磨


なら、その心とやらを出してみたら?ワシがこの棒でぶっ叩いてやるから。


ここで、慧可は気付くのでした。


心なんて無いことに。


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そんな「不安」など、脳が出しているただの信号、物理的な作用によって、排出された化学物質の刺激情報にすぎない。つまり、「ただのそういう感覚」にすぎないのだ。

 



これで、慧可は「私の心」なんて無いのだから、「私の心」が不安になることなどありえないということに気づき、達磨から、禅の伝統を受け継ぎ、二代目の師匠となるのでした。

 

 

 ということで、禅とは何か?

 

座禅をして自分の心を見つめ、自分の内にある仏性を見出す修行。そして最終的に、身も心も一切の執着から離れ、悟りを目指すものということがわかりました。

  

 


 ちなみに日本に禅をもたらしたのは、栄西(1141年〜1215)です。

栄西は、14歳で比叡山延暦寺で出家し、密教などを学び、1168年、平家の庇護を受け、日本天台宗を立て直すべく、禅宗が繁栄する南宋に留学し、帰国後は、日本で臨済宗を開き、禅やお茶を広めて行きました。

 

私は、てっきり栄西が、臨済宗の開祖かと思いきや、臨済宗は、栄西が宋に留学した時にすでにあったので、開祖ではないそうです。

それと、栄西は、宋より持ち帰った茶の栽培を始め、貴族や武士、庶民にも茶を飲む習慣を広めるきっかけを作ったそうだよ。

 

なるほど〜〜〜。

 

そして禅宗といえば只管打坐で有名な道元がいますね。

 

道元は、栄西と同じように14歳で出家。その後、栄西の高弟である明全と共に宋へ渡り、中国曹洞宗の僧、如浄の弟子となり修行を積んで、印可(あなたは悟りました!という証明)を得て、帰国。

 

そして、日本で只管打坐(しかんたざ)という、何も目的も持たず、ただただ座り瞑想するという修行を広めました。