続くかな?シリーズ 仏教編「空の哲学」

生まれたばかりの子供を、

ある空間に閉じ込めて、

誰とも接しないで成長したら?

果たして自分という

概念は生まれるのだろうか?

 

そんな疑問にふける今日この頃。

 

 

 

 

さて、今日も、仏教について

 

ゆるゆると学んでいきましょう。

 

 

仏教といえば、お釈迦さまですが、

 

今日は、お釈迦さまが

 

亡くなられた後に

 

ついてです。

 

お釈迦さまが、亡くなられると

 

仏教は、二つの組織に分裂して

 

しまいます。

 

 

なぜかというと、お釈迦さまは、

 

自分の言葉を文章に残すことを

 

好まなかったこともあり、

 

弟子たちの間で、

 

お釈迦様は、こんなこと言ってた。

 

いやいや、それは違う。

 

と、弟子たちの間で、対立するように

 

なったからです。

 

これぞ、教団、組織、企業

 

あるあるですね。

 

 

さて、二つに分かれた仏教、

 

これが、大乗仏教と小乗仏教です。

 

 

戒律に厳しい厳格

 

長老たちが集まる組織が

 

上座部と呼ばれる小乗仏教

 

 

 

 

小乗というのは、

 

小さな乗り物🚗という

 

意味があり、

 

小さな乗り物の仏教です。

 

つまり、出家して

 

厳しい修行に耐えた

 

人しか救われない組織です。

 

 

そこに疑問を感じた

 

弟子たちが、お釈迦さまは、

 

こんなに厳しい修行を望んで

 

おられただろうか?

 

などなど、言い出すものたちが

 

あらわれ、多くの人が

 

小乗仏教という組織から

 

離れていきました。

 

 

 

それでもやっぱり、

 

みんな救われたい!!

 

厳しい修行から、

 

脱落しちゃったけど、

 

俺たちだって

 

救われたいぞぉ〜〜

 

ということで、

 

生まれたのが

 

大乗仏教。

 

 

これは、文字の通り、

 

乗り物が大きいですから、

 

You! 乗っちゃいなよ!

 

というわけで、

 

続々と救われたい人が

 

乗り込んできました。

 

 

そして、大乗仏教は、

 

お釈迦さまの

 

哲学すら理解できない

 

ゆるゆるな仏教になる

 

はずでした。

 

 

が!!

 

 

ここで、ある人物が現れます。

 

 

それが、天才「龍樹」です。

 

 

150年~250年ごろのインドに

 

生まれた仏教僧で、本来の

 

お名前は、ナーガルジュナさんです。

 

前回紹介した仏界隈では、「菩薩」

 

にあたります。

 

 

彼は、ゆるゆる誰でもオッケーの

 

大乗仏教を、般若経の「空」を通して

 

お釈迦さまの縁起を説明し、

 

体系化しました。

 

 

 

「史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち 」

飲茶 著〜より

 

龍樹は「無い」と言わざるを得なかった。

なぜなら、「ある」と言ってしまうと、

釈迦がホントウに伝えようとしたものが、

台無しになってしまうからだ。

 

龍樹は、

徹底した否定の先に、

「釈迦が体験したあの境地」があることを

よくわかっていた。

 

 だからこそ、彼は、徹底的に無い無いと

言いまくる経典を書いたのである。

 

 それゆえに、龍樹の哲学を継承した

般若心経もまた、この「無い」という

否定を徹底する。

(Kindle No,1610)

 

 

 

 

お釈迦さまの境地・・・

 

無分別智

 

どんな境地だろう。

 

 

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ナイナイナイ♪   

 

な〜んもない♪

 

この曲

 

ご存知ない方も多いと思うのでコチラ↓


シブがき隊 NAI・NAI 16

 

ちなみに当時の私は、彼らより年上

なので、たのきんトリオの

トシちゃん推しでした。

 

 

 

あれ?

 

なんにもないと思っている

 

この私が残っているけど・・・

 

おかしくない?

 

 

 

ハイ!

 

その通り。

 

般若心経は、『空』を徹底

 

するのだけど、

 

どうしても

 

この自分を消すという

 

のが、ムズい。

 

ムズ過ぎる。

 

いやできない。(^◇^;)

 

で、結局どんな手法を

 

編み出したかというと、

 

言葉では言い表せないから

 

呪文を唱えるのでした。

 

 

 

 

 

区別をやめ、思考を停止し、

ただ黙って

純粋な意識(観客)として

あり続けていると

 

いつしか、何もかもが

溶け合って、

他者も自己もなく、

すべてがひとつに感じられる

瞬間がやってくる。

 

しかし、それは決して

素晴らしい恍惚とした体験

として起こるとは限らない。

 

すべての分別が壊れ、

すべてが溶け合う

というのは、

すなわち、

自我の崩壊。

 

一滴のしずくが、大海に落ち、

溶けて消えていくような体験。

 

一本の木にぶらさがっていた

葉が枯れ落ち

チリになって空に

消えていくような体験。

 

それは恐るべき

「死の体験」なのである。

 (Kindle No,1780)

 

 

 

 

悟りを得たいと思っても

 

この恐怖と戦わなくして

 

得られない。

 

 

自分が消えてなくなる・・・

 

今、その時を迎え、震えながら、

 

「死」の恐怖と戦っている。

 

そして、悟りの境地を得たいと願う。

 

 

 

そんな立場の人に、

 

どんな言葉をかけて

 

あげればいいだろう。

 

その立場が自分だったら?

 

 

 

それが、般若心経の

 

ラストの部分。

 

 

 

 

羯諦羯諦

(ぎゃていぎゃてい)

 

波羅羯諦

(はらぎゃてい)

 

波羅僧羯諦

(はらそうぎゃてい)

 

菩提薩婆訶

(ぼうじそわか)

 

 

 

この意味は

 

You! 彼岸(あの世)に

 

行っちゃいなYo~♪

 

んじゃGood luck❗️

 

 

と、背中を押され決死の覚悟で、

 

奈落へと飛び込んだ瞬間、

 

お釈迦さまの得た無我の

 

境地が訪れるわけだ。

 

 

写経をしながら、般若心経の意味が

 

書かれた本を読んでいたはずなのに、

 

このラストの呪文が心に

 

響くわ〜

 

般若心経すごいな~

 

 

そんな風に思えたのも

 

飲茶さんのこの本のおかげです。

 

感謝〜