問い!疑い!破壊し、ふたたび作り直す。

今日は、あまり聴き馴染みの

ない「維摩教(ゆいま)」

という経典のおはなしです。

 

 

課題図書は

「維摩教」〜100分de名著

釈徹宗 著

 

この本を知ったのは、仏教について

調べていた時にあるブロガーさんが

とても面白いとおっしゃっていたので、

手にしてみたものです。

 

私は、NHKの「シブ5時」

という番組をよく見ている

のですが、「悩み相談 渋護寺」

というコーナーがあり、そこで著者を

知りましたが、この本を手に

するまで、まさかこの番組に出演され

ている釈撤宗さんの本とは、

全く気付きませんでした。

 

 

 

さて、本題に入りましょう。

この「維摩教」というのは、

大乗仏教経典の一つで、

全編戯曲的構成で展開され

ています。

 

*戯曲的・・脚本や台本、シナリオ

っぽい形式でつくられている。

 

この維摩教の何がすごいかというと、

この経典に登場する「維摩居士」

(ゆいまこじ)という在家者が、

お釈迦さまの弟子たちを

バッサバッサと論破し、

切り倒していく

場面がなんとも痛快なんです。

 

論破するといえば、以前学んだ

ソクラテス さんを思い出しますが、

維摩居士さんのすごいところは、

自分の信じている仏教の教えですら

根底からひっくり返してしまう

からすごい!!

 

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p6

誰よりも仏教という者の

本筋を理解したうえで、

出家者たちをかきまわしている

のがわかってきます。

そのかきまわし方が、

また巧妙です。

いったん投げ飛ばしたと

思ったら、いきなりもとの

場所(仏教の基本)に引き

戻したり、また遠くに再び投げ

飛ばしたり・・・、

一度構築されたものを解体し、

また再構築していく作業を

延々と繰り返しているとでも

いったらいいでしょうか。

読者はいつのまにか

維摩の術中にはまり、

ぐるぐると行ったり

来たりを繰り返し

ながら螺旋状の

階段をのぼらされて、

ふと気づくと仏教に

ついての理解が

深まっているという、

なんともよく考えられた

構成になっているのです。

 

この著者の釈徹宗さんも

あまりの面白さに全編あっという

間に訳し終えたという

のですから、間違いない!

 

私がとくにこれは!と思った部分。

p38

人は「自分が正しい」

「自分が優れている」

といった自信を持ったとき、

見えなくなる

ものがあります。

自分が秀でていると感じて

いる領域にこそ落とし穴が

あるのです。

 

得意分野を持ち、ましてや

それを人から

高く評価されると、

人はどうしても

「自分の考え方、

やり方こそ正しいのだ」と

思い込み、自分の作った

枠組みを堅固に

します。

維摩は釈迦の高弟

(特に優れた弟子)たちに

揺さぶりをかけ、自らの

仏道を再構築するよう

導いたのですね。

 

 

 

これこれ!!

 

世の中の常識を作っていくのは、

その時代で成功した人たちの

自分が正しいという強い主張。

 

確かにそれに従い、成功する人も

いるだろう。

また、自分に自信を持つことも非常に

大切だと思う。

 

でも自分の成功をいつまでも

信じ続けることや、

あの人が言っているのだから

間違いないと疑いを持たないことは

とても危険だ。

 

例えば、「このやり方でやって!!」

と職場で指示されたとしよう。

でもそのやり方は、職場で1番自己主張が

強い人のやり方で、誰も否定できずに

惰性で続けているとしたら?

 

優秀な大学を出ているから、あの人が

言っていることは、正しいと

みんなが思い込んでいたら?

 

これって、どんな職場や組織でも

あるあるじゃない?

 

 とくに自分で考え、行動することを

やめてしまった私たちにとって、

強く言い切ってくれる人には

めっぽう弱い。

 

しかも前回のブログにも

書いたけど、自分の考えと

同じでなければ、敵だと

思ってしまう未熟な

自他未分の私たち。

 

 

それって本当に正しいの?と

常に自分に問うこと、疑問に

思うことが大切だと、この本を

読んでつくづく思いました。

 

そして、この維摩教が、

今の日本にとって、めちゃくちゃ

必要な学びだと確信!!

 

そして、私が占いに疑問を

持ったことは、間違っていな

かったんだと思えました。