ふたたび占いを考えた

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pixabay

 

占いを続けてみて、

疑問を抱くようになり、

ヨガ哲学や仏教を

学んでいるうちに

占いは、恋愛運や

仕事運などを占うもの

ではないことに気づいた。

 

かといって、占いは悪いもの

なのか?

 

これに対して、

これまでうまく言葉に

できず、モヤモヤ

していたのだけど、

ここでやっと「占い」

に対して、自分なりの

答えが出たので

ご報告したい。

 

 

以前にも紹介した

「反応しない練習」

という本に以下の

ようなことが書かれ

ていた。

 

 

「判断」とは、この仕事に意味が

あるとかないとか、人生は

生きている値打ちがあるとか

ないとか、彼と自分を比較すれば、

どちらが優れている、

劣っているといった「決めつけ」

「思い込み」のことです。 

(Kindle の位置No.528-530)

 

「判断」が、人の心をいかに

縛りつけているか、今一度振り

返ってみましょう。

たとえばこんな人がいます。

占い好きで、運勢がいい・悪いと

いつも判断している。

噂話に花を咲かせて、

「あの人はこんな人物らしい」と

詮索している。

人と別れた後は、彼はいい人・

悪い人、好きだ・嫌いだと

評価している。 

(Kindle の位置No.535-538). Kindle 版.

 

 

この本に書かれている通り、

占いは自分だけでなく、

全てに対して、

思い込みを作り出し、

ジャッジすることになる。

 

また、占いの意味付け

する行為などは、自分だけ

でなく、他者や環境(運)

のせいにして、

根底にある問題から

目を背けてしまう

可能性がある。

 

とはいえ、占うことで

気づけたこともある。

 

 

だいぶ前にこのブログ

紹介した本をまたここでも

使いたいと思います。

 

「大きな自分に出会う

BIG ME〜若者のための座標軸」

内藤影代 著

 

p92

自分と他人の区別がアイマイで、

「自他未分」になりやすい。

それが「甘え」の原因だ。

「ちがい」がわからない。

自分と同じでないものは、

敵のように思う。幼稚だ。

「ちがい」を認めあったうえで、

双方を生かしあう

「自他一如」を次の章で学んで欲しい。

 

p114

みんな、自分を失って、仮面(ペルソナ)や

元型やコンプレックスと自他未分に

なっている。今、ここに生きている、

滅びゆく肉体を持った、

永遠の魂の宿る、等身大の自分を、

まず自覚することだ。 

 

 

この本を読んで、占いを学ぶ前の

自分がまさに自他未分だったと

自覚できた。

とはいえ、まだまだですけど💦

当時に比べて少しは

マシになったと思う。

 

自他未分の状況というのは、

字のとおりで、自分と他人の

区別ができていないことだ。

 

  • 人と自分の常識は同じだと思う。
  • 誰も私のことをわかってくれない。
  • 自分の考え方は誰にとっても正しい。
  • 私のルールは、相手も守るべきだ。
  • 他人の問題と自分の問題の区別がつかない。

 

などなど・・・

 

離婚理由ランキング

1位は、性格の不一致。

これも男女が互いに

自他未分がゆえに生ずる離婚

ということだ。なぜなら、

性格が一致する人なんて、

この世にいないから。

 

 

実はこれって

恋愛中のカップル、

夫婦や親子間の問題の

ほとんどが、自他未分に

なっていることが原因。

 

 

ちなみに吉田兼好先生の

徒然草134段には

お耳がイタタタになる

お話があるので、

ぜひググって読んで

みてちょ。

 

 

だけど、ここから

この作者が言う

自他一如にどう

やったら近づける

のか?

  

答えはこの本のp95の

分かるために、まず、分ける。

と言う言葉でした。

 

私はこれを読んで、

まさに!

占いがこの「分ける」

役割だと思った。

 

私は、自分を占う行為は、

「メタ認知」と

言われるものに近いと

思います。

 

さらに他人を占うと、

あの人は牽牛星なのか。

自分とはだいぶ考え方が

違うのはそのせいだったかと、

自他未分だった思考が、

自分と他人との間に線を

引くことができる。

 

 

 

つまり、占いによって、

「分かるためにまず、分ける」が

できるようになるのだ。

 

でもお釈迦さまは

占いを否定しているんですよ。

ずっとそこが謎で、なかなか

自分なりに答えを見つけられずに

おりました。

 

 

ところが、 法華経の「火宅」と

呼ばれるお話を知り、これだ

と思いました。

 

あるところに

老人と30人の子供が住んで

おりました。

ある時、その家が火事になって

しまいました。老人は慌てて

家から飛び出しましたが、なんと

子供たちが火事に気づかず、まだ

家で遊んでいるではありませんか。

 

老人は、引き返そうと考えましたが、

とても子供30人を燃え盛る火の中から

連れ出すのは難しい。

 

そこで、老人は子供たちに叫びました。

「おーーい!お前たちの大好きな

羊に鹿、そして牛の車があるぞ!

早く、こちらに来なさい。」

 

すると、子供たちはどれどれと

外に出てきて、急死に一生を得た

のでした。

 

 

つまり、この老人は、子供たちを

救うために、嘘をついたのです。

これが、仏教の「方便」です。

 

お釈迦さまは、確かに占いはもちろん

呪文や宗教的なことも否定しています。

でも占いもこの「方便」と、なんら

変わりないのでは?と思えたのでした。

 

 

「だってこうでも言わないと、

おまえらやらないじゃん!」

人生は苦だよ。どうせ死ぬよ。

でも、悟りの世界があるよ。

仏像拝んだり、念仏唱えたりすれば、

すべての苦しみから解放されるよ。

偉大なお釈迦様の言うことを

信じれば間違いないよ。

これらはすべて方便であり、

彼らの悲鳴である。

 

「史上最強の哲学入門」

 東洋の哲人たち 飲茶 著

(Kindle の位置No.36218-3621)

 

要は考え方次第。

または、占いは使い方次第と

いうことです。

物事はすべて、裏表、陰陽ある。

占いは悪いことと、

決めつけてしまうこと

の方が、危ないことだと

つくづく思い知ったのでした。

 

これはすべてに言えることで、

決めつけず、これからも

占いとは?疑問に持ち続けて

いきたいと思います。

 

だって、これだ!と

言い切ってしまったら

そこで成長は終わって

しまう気がするからです。

 

今日はこれでおしまい。 

 

 

陰陽、太極のタロットケースを

Thingiverse で見つけて、

プリントしてみました。

ウェイト版がぴったり

収まり、素敵なので、

占い師のお友達に

プレゼントしようっと。

       

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