ずっと占いの役割を考えていた

これまでも占いに疑問を持っていると、ちょいちょい触れてきましたが、やっと占いの役割がわかってきたんです。今日はそれについて少しだけ書いてみたいと思います。

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これまで、「占いとは?」と自分の中で、問答を繰り返してきました。そして、あのお釈迦様が占いを否定しているという事実を知った時は、正直驚きました。


仏典927 

「わが徒は、アタルヴァ・ヴェーダの呪法と夢占いと相の占いと星の占いとを行ってはならない。鳥獣の声を占ったり、懐妊術や医術を行ったりしてはならぬ。」 


さて、そんな時に図書館で、目に入った鏡リュウジ先生のジュニア向けに書かれた本に出会います。

「占い脳」でかしこく生きる(14歳の世渡り術) 鏡 リュウジ著

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p41

占いを少しかじった人は決まって、「占いって奥が深いんですね」と言いますが、これは当たりまえのことです。占い的な発想は長い間人類の心のありようを支配していて、他のどのジャンルともかかわっていますし、占いの体系そのものが、昔のかしこい人が一生懸命に考え抜いてつくってきたものですから、とても複雑かつエレガントに出来上がっているんです。
 占いは、僕たちが自分の身に起こること、僕たちが感じることを「ほらこんなふうにすると説明できるでしょう」と練り上げたものですから、今の僕たちでも勉強するほどに、納得させられることが多い、ということなんです。もっとも、純粋にクールな見方をすると、それが「思い込み」や「こじつけ」に近いものだということがわかります。しかし、いったんその世界に入ってしまえば、これはこれで実によくできたさまざまな体系なんです。バカにしてはいけません。 

 


有名な先生も占いは思い込みやこじつけに近い面もあるとおっしゃってるということは、私がそう思ってしまうのも無理はないのだとホッとします。それに胡散臭いものと決め付けるのはもったいないという部分にも共感しました。

 

どうしてかというと、自分が占いを学んだことで、精神分野に興味が持てたこと、そして、成長できたという実感があるので、占い全てを否定する気にはなれなかったから。


これも厄介なのよね。自分の中に肯定と否定が存在してるから。

こんなの嘘っぱち!とか、占いは仕事だ!と割り切れたり、カウンセリングや人助けだと信じられる方がよっぽどいい。

 

でも私は、占いに疑問を持ってしまったし、人を占う前に自分が納得したかった。そして、自分が納得できる占いはどんな占いだろう。と模索していたときに出会った本が

『大きな自分に出会う BIG ME ~若者のための座標軸』内藤景代 著 


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ヨガのことを調べるつもりで購入しました。かなり古い本だったので、メルカリで購入。


p92

自分と他人の区別がアイマイで、「自他未分」になりやすい。それが「甘え」の原因だ。「ちがい」がわからない。自分と同じでないものは、敵のように思う。幼稚だ。「ちがい」を認めあったうえで、双方を生かしあう「自他一如」を次の章で学んで欲しい。自我(エゴ)が弱く未熟なので、自分を守るために、必要以上に残酷になる。ほんとうの優しさとは、強さに裏づけられている。まず自分の弱さを直視できる、勇気を持とう。
感情に走りやすく、理性のコントロールが効かない。好きか嫌いかで、全てを判断する。「待つ」ことが苦手で、一気に飛びたがる。主観的で、客観的な視野がない。自己中心的で身勝手だ。他人の痛みがわからない。失敗すると思い詰めてもうダメだと極端に走る・・・など。

 


おおお!!まさに占いやヨガをする前の過去の自分は「自他未分」だった。
例えば、上司や同僚に挨拶しても全く反応がなかったりすれば、どういう神経してるんだ!とか。子育てと仕事の両立でイライラして、旦那に対して、「あなたも親なら、私が言わなくても、やって欲しいことがどうしてわからないんだ!」と怒ってみたり、今思えば恥ずかしい事ばかりしていたと反省している。

では、「自他一如」(じたいちにょ)って何でしょう。

お釈迦さまは、すべてのものは、お互いに因となり縁となり、生じては滅していくので
自分だけ独立して存在していると思ったら大間違いで、私の中にも他人が、他人の中にも私が宿っているので、自分と他人を分け隔てても意味がないとおっしゃっています。

そんな難しい内容をこの本では、ポタージュスープ味噌汁で表現しています。

p108

「自他未分」を、ポタージュ・スープとすれば、「自他一如」はみそ汁だ。ホーレンソウ、ニンジン、 ジャガイモ、グリンピースなどをゆでて、裏ごしにかけ、ミルクを入れてドロドロ煮込み、”大洋的な”乳の海”にしたものが、ポタージュ・スープだ。それぞれの素材は、自分の型を失い、自他未分で溶けあい、混沌の海と化す。おいしい。
みそ汁は、海のものとも山のもの、ワカメと三つ葉など、それぞれの具を、そのままの型で入れて、自他一如の調和(ハーモニー)を楽しむ。季節によって具がかわり、変化を楽しめる。うまい。ポタージュはフランスの味、みそ汁は日本の味。それぞれ素晴らしい。ポタージュ的な「自他未分」の境地は、なんでもハッキリと分けたがり、○ ×式に優劣をつけて、孤立しがちな近代的自我(エゴ)にとって、原始的な陶酔とエクスタシーをもたらす。自我(エゴ)の強い人ほど、自我(エゴ)をもてあまし、我を忘れて、酔いたがる。快感なのだ。酒に酔い、スポーツに熱狂し、音楽に陶酔する。仲間との一体感や偶像(アイドル)との同一化、セックスでの合一感などを求める。

 

なるほど、みそ汁のハーモニーね。個々がバラバラの個性であっても調和を大事にする。


p114

目を覚ませ!イメージの世界に呑み込まれて、等身大の自分を忘れてはダメだ。会社に呑み込まれた会社人間。子の親になったら、自動的に”賢者”になったと錯覚して、命令のみして自分の魂の成長を忘れたオトナたち。イメージの世界で漂い続けようとするピーターパン。眠りこけて目を覚ませば、タナからボタモチ的に白馬に乗った王子が現れると思っているシンデレラ。みんな、自分を失って、仮面(ペルソナ)や元型やコンプレックスと自他未分になっている。今、ここに生きている、滅びゆく肉体を持った、永遠の魂の宿る、等身大の自分を、まず自覚することだ。

 


これよ!コレ。
今、ここに生きている、滅びゆく肉体を持った、永遠の魂の宿る、等身大の自分を、まず自覚することだ。とはいえ、等身大の自分をどう自覚すればいいの?と思っていたら、書いてありました。


p95

分かるために、まず、分ける。
対立するものは、本来、一つの裏と表だ。
二つでひとつ
殺しあうのではなく、生かしあう。
憎みあうのではなく、愛しあう。
ただ奪うのではなく、育てる。
マンダラの知恵を身につけて、BIGMEへ成長していく。

 



「分かるために、まず、分ける」これこれ!!
この言葉こそ、私が占う目的だ。

「自他未分」になっている私たちが、いかに「自他一如」に近づけるか?等身大の自分を自覚できるか?は、まず自分と他人を分けて考える必要があるという事。

そう。私が考える占いは、自他一如へ近づく為のプロセスとして、自他未分からの脱却を占いによって叶えたい。