中途半端ぐらいがちょうどいい?

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pixabay

 

「水の巡礼 」田口 ランディ 著

 

この美しい場所に救いを求め、

熱烈に愛してしまう人たちが

いることを私は理解できる。

そうだろうと思う。

だけど、私は違うのだった。

なぜだろう。

私も天河が好きになった。

でも、やっぱり「生半可」

なのである。

感動しながら分析する。

姑息な奴なのだ。

心のなかに神への

畏怖の念と、

懐疑の思いが常に対立して

存在する。

どんな奇跡を見せつけられても

20パーセントは疑っている。

信じることが苦手だ。

信じたいと切望しているのに、

すべてを捧げて信じたり

祈ったりすることができない。

  (Kindle の位置No.112-113)

 

この文は、作者が

奈良県の天河神社へ

行ったときの気持ちが

書かれているのですが、

今朝、Kindle片手に

もぐもぐとフルグラを

食べながら、

この文を読んでいて、

自分にも思い当たること

があると思った。

 

 

20代のころ、カルト教団に

入信していたけど、

彼らから逃れられたのは、

わたしのどこかに覚めた心が

存在していたからだ。

 

普段はやさしいカルト教団

の地区の代表から、

「みなさん保険証を持って、

お金を借りに行きましょう!」と

言われたときに

ハッとして、

洗脳から覚め、

教団を飛び出して

来たわけだけど、

そもそも伝道とか献金のために

歩き回るなんてうんざりだったし、

きっとわたしは、信じ切れて

いなかったからだと思う。

 

そして、突然ですが、笑

占いも同じだと思うの。

 

以前、占いは宗教だと

誰かが言っていたけど、

今なら

激しく同意できる。

 

算命学界隈では、

「占術を間違えて伝えたり、

結果をねじ曲げて伝えると、

占った本人が返り矢をうける」と

言われていますが、

まさにカルト教団が

言っていることと

同じだったのだ。

 

きっとこの話を作った人は、

占い師の中にも詐欺師の

ような振る舞いをする人も

いるため、真摯に占いなさい

という忠告だったとは思う。

 

でもよくよく考えてみたら、

そもそも流派が違えば、

結果が変わってくるじゃん。

これを間違って占って

しまうことと

同じになるのでは?

という疑問がつきまとうまま、

占いを信じきれずに占うことを

やめてしまった。

まぁそれだけじゃないけど。

 

 

とはいえ、哲学や宗教を

学んでいると、占いを

切り離すことが

できないことに気づき、

いまだ捨て去ることが

できないのも事実。

 

 

そして、占いとは?と

考えていたときに

この本のこの言葉があった。

 

 「易と人生哲学」安岡正篤 著

 

占いというものは、

余地本能を中心とした

感覚に頼ることが

多いのですが、

常識、経験の世界から、

大きく踏み外しては

いいけないのです。

九割何分までは、

常識で推し詰めて

それでどうしても

解決できない未知の世界を

判断しようと言うのが、

本来の占いの使命なのです。

 

占いが生まれた時代は、

生きるか死ぬかという

戦争があり、一つの選択を

間違えれば、間違いなく

死が待っているわけで、

その中で、自分が決め

あぐねたときのもの

だったはず。

 

そして、占いは、

人を占うものではなく、

内省するツールだと

最近思うようになった。

それについては、また今度。

 

ということで、今まで

すべてを信じきれず、

自分は、何をやっても

中途半端な奴だと

思っていたけど、

信じきれないことって、

全然悪いことじゃない。

 

 

結構これって、バランス

とれてるんじゃない?と

思う今日この頃なのでした。