「池上彰と考える、仏教って何ですか?」

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最近、ヨーガを学ぶようになって、仏教やインドなど、いろいろ興味が広がっています。知足という「足ることを知る」教えに背いているような気がしますが、人間、欠けているものほど、手に入れたくなるもの。私は欲深いので、まだまだ修行が必要なようです。


さて、今日もまた仏教についてなんですが・・・笑

仏教について知りたいと思った時、まず最初に手にしたのは、手塚治虫氏の『ブッダ』。

 

[まとめ買い] ブッダ

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この本のおかげで、ある程度、お釈迦様のことや、その時代背景を知ることができました。その後、何冊か読みましたが、これは!と思ったのが池上彰さんの「池上彰と考える、仏教って何ですか?」という本です。

 

池上彰と考える、仏教って何ですか?

池上彰と考える、仏教って何ですか?

 

 

子供が小さい頃、NHKの「週刊こどもニュース」で、大変お世話になった池上さん。そんな彼が、仏教をどう噛み砕いて説明してくれるのか?
読んでみると、期待以上の内容でした。というのは、池上さんがただ仏教を誰にでもわかりやすく説明するだけの本だと思っていたから。ところが、池上さんの仏教に対する気持ちも書かれていて、とても親近感を覚えました。

 

仏教は控えめな宗教です。他人に信仰を押し付けたりはしません。信じるか信じないかは、自分で判断せよとブッダも言っています。こちらから求めなければ得られない教えですから、初めは縁遠いと感じてしまうかもしれません。しかし、いざ中身を知ってみると、そこには実に居心地のよい世界が広がっています。安心して心を委ねられる思想。私も実際、そう感じています。仏教を知ることは、己を知ること。そして、日本を知ることです。自分のことをよく知り、自分にとって何が大切なのかを知ってこそ、他人や他国の人々が大切にしているものを理解することができるのではないでしょうか。



いや〜本当に仏教は、控えめだと思うわ。でもそこが好き。(葬式仏教以外)
池上さんが、仏教の教えを「居心地の良い世界」と表現されていて、どうして私が、ヨーガや仏教に興味がいってしまうかが、この言葉にあるような気がします。

ところで、池上さんから「自分を知る」という言葉が出てきて、思い出したんですが、先日読んだ「ガンジス川でバタフライ」で紹介できなかった部分を今日は書いてみたいと思います。

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著者が、川沿いを歩いていた時に出会ったお坊さんとの会話
P272

あなたは何かを信じていますか?インドでもう何十回と聞かれた質問だった。私はそのたびにブッディストだと言ってみたり、無宗教だと言ったりしていた。でも本当は、いったい何を信じている人だろう。信じるものがないなら、どうして私は困ったときに心の中で「ああ!神様、仏様」などと願ったりするんだろう。彼は、私の心の中を見透かしたように言う。「ゆっくりと自分自身を見つめることです。今、あなたは、私と話をしています。でも実は、自分自身とも話をしているのです。今だけではありません。どこにいようと、誰と話していようと常にあなた自身と話をしているのです。」

 



誰と話していても常に自分自身と話しているのだというこのお坊さんの言葉。
深いお言葉です。


お坊様の言っていることが、今の私にはよく分かる気がした。旅に出てからというもの、私はずっと自分自身と向き合わされているように思う。次にどこに行くかを決め、列車やバスのチケットの手配をし、ひとりで全部を決めて動いていると、自分がどうしたいのかを常に自分の胸に問いかけることになり、自分自身と向き合わざるを得なくなるのだ。その上怪しい人間に付きまとわれたり、想像もしなかったハプニングがあったりと次から次へといろんなことが起きるから、そのたびに自分の価値観を試されているような気がする。~略~ とにかくどこへ行こうとも「私が私であることからは逃れられない。」ことを強く意識させられてしまうのだ。そんな環境に身を置いていると、自分を見失いそうになってしまい、私は毎日、必ず日記を書くようになっていた。その日、何があってどう思ったかをつらつらと書き綴っているうちに、自分の気持ちを整理することができたからだ。その私が対峙している自分自身は、一体どうやってできたんだろう。きっと今までのいろいろが、知らず知らずのうちに私と言う人間を形作ってしまったのだ。「過去の私」が「今の私」を作ったと言う事は、今の私の生き方が、おのずと「未来の私」を作ってしまうと言うことではないか。そう考えると、なんだか1日たりとも手を抜くことができないような気がした。誰に憧れたところで、私は他の誰かになんかなれやしない。私は一生、私自身についていくしかないんだ。

 
「私が私であることから逃れられない」。だけど、仏教には、「無我」、自分なんてそもそも無いという教えがあるのだけど、己を知らずしていきなり無我の意味を知ることなんて無理だな~と思うので、やはりまずは、自分と向き合い、自分を知り、そして今の自分から未来の自分を築くしかないんだと思う今日この頃なのでした。(そもそも無我の境地なんて、普通の人には悟れませんよね。)