続くかな?シリーズ「老子〜脱力is Best!!」
今日は、
ゆるゆる脱力系の
皆さんに
朗報です。
なぜって?
老子さまの
脱力最強説が
テーマだからです。
ということで、
今日もはじめて
いきましょう。
さて、本題の老子の哲学とは?
「学を為せば日々に益し、
道を為せば日々に損ず。
これを損じて又た損じ、
もって無為に至る。
無為にして為さざるは無し」
(No.3045-3047)
あーーー( ´Д`)💦ーーー
何言ってるか
さっぱりわかりません。
「史上最強の哲学入門
東洋の哲人たち」飲茶 著
「学問をやると
日に日に得をするけど、
道(タオ)をやると
日に日に損するよ。
で、損して損して無為に
いたりなさい。
無為になると、
すべてがひとりで
起こるから万事OKよ」(No.3047-3049).
だそうです。
損をすると言っても
現実的なお金や時間を失う
わけじゃありません。
知識が増え、言葉によって、
増産される分別
(思い込みや囚われ)を
どんどん捨てて、
無為、
なーんもしないことだよ!
と言っているわけですね。
えええ!?
な〜んもしなくていいの?
やったー!!
いや、でも待って、
なーんもしないと
いうことは、
仕事もしなくていいの?
そんなことしたら
生きていけませんけど。
いやいや
老子さまの言う
な〜んもしなくていい
という意味は、そういうこと
ではなく、
「無為にして為さざるは無し」
これは、 あれこれ思いを
巡らすことも、
心配することはなく、
物事は勝手にやってるよと
言っているのです。
つまり、私たちは、
何もかも
自分でやっていると
思っているけど、それは
間違いで、
すべては私たちの身体が
勝手にやってくれるから
心配しなさんな!
ということです。
『私』は
何も為さないただの
観客となり、人生は
映画のようにひとりで
為されていく。
この境地を老子は
「無為自然」と
呼んだのである。
(No.3260-3261).
お釈迦さまの言う
「無分別智の境地」を
「無為自然」と言う
たった4文字で
言い表しちゃったんだね。
なるほどーー。
これはヨーガ哲学や
インド哲学ともつながるよね。
これまで学んできて、
薄々感じておりましたが、
今回飲茶さんによる
「老子」の解説を読んで、
なるほど!
仏教と老子さまの
説く内容が、
とても似ていることを
再認識しました。
さて、次に『上善如水』
という教えについてです。
私はこの日本酒が
大好き💕です。
さらさら飲めちゃう。
うふふ
あ!すみません。
お酒の🍶話じゃなく
教えですね。
話をもとに戻しましょう。
老子さまは、
「無為自然」の境地に
達した人は、
まるで水のような
存在となり、
水こそ最強!と言って
おられます。
「最上の善は水の
ようなものである。
水は万物に利益を
与えながら争わず、
誰もが嫌だと思う
低いところに落ち着く。
だから道に近い」(『老子』)
「天下には水よりも柔らかで
弱々しいものはない。
しかし、堅くて強いものを
攻めるには水に勝る
ものはない。
水の本性を変えるものは
ないからである」
(『老子』)
(No.3267-3270)
特に今の時代、
水のように柔らかく、
自分の型に
こだわることなく
流れ流れて、
柳のように
しなやかであれば
変化にも対応でき、
ぶつかって
自分を傷つける
こともないわね。
ゆ〜るゆる
脱力最強!!
ということですね。
さて、ここまで老子さまについて
学んできて言うのもなんですが、
老子さまって、本当に存在したの?
ネットの検索情報や、
飲茶さんによれば、
司馬遷の『史記』
(BC100年ごろのもの)が
書かれた頃から、すでに老子さまは、
謎の人だったようです。
その原因は、お釈迦さま同様、
自分の主張を書き残す気が、
なかったようです。
でもこの現代に老子さまの教えが
残っているのは、老子さまが、
周という国を見限り、国を
こっそり出て行こうとする際、
弟子に見つかり、書き残したものと
言われています。
そして、そこから老子さまは
どこへ行かれたのか?
なんと!!
インドへ行き、釈迦と名乗り、
仏教を広めたとさ。
老子 = 釈迦
ええええええ???
でも仏教の教えと、老子さまの
教えがあまりに似ているから
なんか信じてしまいそうだね。
とはいえ、こういうおはなしって、
どっかで聞いたことあるよね?
義経は、モンゴルに渡り
チンギスハーンになったとか、
イエスキリストが、十字架に
かかったのは実はイエスの弟で、
本物のイエス様は、日本へたどり
着いたというおはなし。
どこの国にもそういう類の
お話はあるんだね。