江戸時代の少食主義 岩井朝彦 著

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先日、ニュースで、

中国の習近平国家主席が、

中国の「食べ残し文化」に対して

心を痛め

節約を励行し、浪費を反対せよ

と、発言したと報道されていました。

 

diamond.jp

 

そもそも「食べ残し文化」って?

 

中国では、お客さまをもてなす際、

食べられる量よりも多めに注文し、

最後に出された料理を残すことは、

お腹いっぱい食べた。満足した。と

考えられ、料理を残すのがマナーだ

そうです。

 

日本は、作ってくれた人に

失礼だから、残さず食べるよう

小さい頃から教育されるので、

食文化の違いを感じますね。

 

とはいえ、日本も同じように

コンビニやスーパーで、まだまだ

食べられる食材が廃棄されて

います。

 

中国のこのようなニュースが

あった後、だいぶ前に

図書館で予約した本が

やっと届きました。

 

その本が、今日の課題図書

「江戸時代の少食主義」

岩井朝彦 著

 

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まさにタイムリー。

どのような本かというと

江戸時代の「水野南北」という

人が書いた「修身録」を

少食主義というテーマで、

現代の私たちにもわかりや

すく書かれた本です。

 

 

水野南北という人を知ったのは、

算命学の学校長が書かれたで本を

読んだことがきっかけです。

でもその時は、いつか読もうと

思っただけでした。

 

 

でも一昨年の手術以来、

食事に対する考え方が

変わり、それまでの

暴飲暴食を改め、少食に

徹し、運動も続けたことで

8キロの減量に成功しました。

 

すると、以前より体の

動きだけでなく、頭も心も

クリアーになった気がします。

そこで、ふとこの本を思い出し、

図書館で借りた次第です。

 

さて、この水野南北という人は

どんな人なのでしょうか?

 

出身は大阪西区。

早くに両親を亡くしています。

10歳でお酒の味を覚え、

酒と博打と喧嘩に明け暮れます。

その後も刃傷沙汰を繰り返し、

18歳で酒代欲しさに盗みを働き、

とうとう牢屋に入れられます。

 

ところが、彼は牢内で

人相が人の運命と関係が

あるのでは?と思うようになり

出所後、自分の人相を観てもら

いました。

 

すると、驚いたことに

死相が出ていると言われて

しまいます。

 

ショックのあまり?

出家を決意し、お寺へ

いくと、「1年間、麦と

大豆だけの食事が続けられた

ら弟子にしてやろう」と言われ、

真面目に1年間続けたところ、

運勢が改善し、死相も消えた

そうです。

 

 南北は、この後人相の修行の

ため、床屋三年、湯屋三年、

焼場三年勤め上げ、人の顔、体、

骨格の観察を続けたと言われて

いるそうですが、本人の著述には

一切そのようなことは書かれて

いないそうです。

 

さて、南北は「修身録」で何を

伝えたかったのでしょうか。

 

もったいないという考え方〜

 

たとえ五穀が地に落ちたとしても

無理から気にはかけない。

腹が膨れてきて節になったと

思ったなら、それ以上の

食物は捨てる。もしわずかで

あっても、あらゆるものの

費えをなさぬようにし、日月から

受ける徳を忘れないように心

がける。

 

陰徳のなんたるかを知らぬ者は、

穀物一粒が地に落ちただけでここ

ろを傷める。けれどもご馳走が

出されれば飛びついて、つい米も

余計に食べてしまう。

一粒を悲しむことはしても、一飯が

消え去ってしまうことには思いが

至らない。こんなことでなんの益が

あろうか。

余計な食というものは心身をかえ

って苦しめ、病の原因になるだけだ。

 

 

 

 

ご馳走さまと置いた茶碗に

こびりついたご飯粒。

母親から「一粒だって、無駄にしちゃ

いけないんだからね。」と言われた

のを思い出した。

 

でも南北先生は、大切なのは、

そこじゃな〜い!と

言っているわけですね。

出された食事を無理して食べたり、

暴飲暴食が習慣となって

いると、余分に入った食べ物は

消化するために常に体へ負担を

かけることになる。

 

つまり、余分に入ったこれらの

食べ物は、自分の体に捨てている

のと同じことだと南北先生は

おっしゃっています。

 

 

 

ううううう

耳がイタタタですね。

 

天からの恵の究極のものが食である。

これを余計に食するということは、

日々天から借りをしているのと同じ

ことなのだ。不必要に費やして

しまった食は、すべて屎となって

この地上から消え去ってしまう。

この分の食を、あなたはいったいいつ

天にお返しするつもりなのか。

人は催促に来るだろう。

しかし天は黙ったままそれをあなた

から取り上げてゆかれる。

あなたが返さなければ、子孫から

、子孫がいなければその家を

亡して家計を断絶させてしまわれる。

自分が借りたものは返す。

これは天地の理である。

だから身のほどよりも大食をする

者は運が傾くのだ。

思わぬ災いや損失が起こる。

だがこれもすべて天の与えたもう

戒めであり、そのための取り上げだと

知るべきだ。

 

 

 

これまたイタタタタですね。

 

子孫や家系を絶やすと先生は

おっしゃられていますが、

身近な話でいえば、さんまが

今年も取れなくなってしまって

いるのも、天から催促が

来たからなのでしょう。

 

 

食物というものは、葉の細切れまで

人に食べられ、屎となって土に

帰ってこそ成仏である。

食物の終り宜しいとはこのことで

ある。

だが粗末に扱われた上にも

捨てられたのでは、土に帰ることが

できず、溶けて腐り、見苦しく

なって人に嫌われる。これは食物

の野垂死である。

 

昔から、動植物の命を

頂いているとわかっている

つもりだった。

でも過去の私は、”つもり”に

過ぎなかったことに今更

ながら気がついた。

過去の私は行動が全く

伴っていなかったからだ。

 

さらに南北先生は言う。

 

食の乱れは禄の乱れ

 

 

ちなみに禄とは、現代の

収入のこと。

 

南北先生は、食こそが

人の根本であるから、

食の大切さを軽んじる

ようでは、心や身体を

整えることは難しいと

言っています。

 

 

本当に。

 

いつからでも遅くはない。

自分の未来のために。

そして、未来の子供たちの

ために。

 

小食を心がけ

いのちを頂いているという

感謝の気持ちを忘れずに

 

今日も美味しくいただきます。