「勉強の哲学〜来るべきバカのために」千葉雅也 著

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いや〜ほんと

ゆるゆる学び始めると

あれやこれや気になって、

本を読んではみるものの、

自分は本当に理解できて

いるのか?

すっごく不安になります。

 

そんな中、救世主ならぬ

救世本が現れました!!

 

それがこちら、

 

「勉強の哲学

来るべきバカのために」

千葉雅也 著

 

 

この本との出会いは、読書について

考えていた時に、Amazonさんが

お勧めしてくれた1冊。

 

読みやすい章もあるけど、

難しい言葉がびっしりな章も

あって、最初はビビりながら

読んでおりましたが、なんとか

全部読めました。

 

 

 

Kindleの位置2083〜2089

 

勉強のきりのなさ──

深追い方向(アイロニー)と

目移り方向(ユーモア)の

──に打ちのめされず、

ある程度で、

「一応は勉強した

ことになる」という状態を

成立させる。

情報過剰の現代においては、

有限化が切実な課題です。

日々、「一応はここまで

やった」を積み重ねる。

仮固定から、新たな

仮固定へと進んでいく。

それが勉強を継続すると

いうこと。だから、これは

極論ですが、勉強は、どの

段階でやめてしまっても

それなりに勉強したと言える。

中断による仮固定。

これは読書について

バイヤールを参照しつつ

言ったことと同じです。

目次を読むのだって、

拾い読みだって、

読書である。そもそも完璧な

通読などありえない─

 

 

 

極論ですよね。。。

えええ

わかってますとも。

 

でもね

 

私のようなゆるゆるの学びでも

許された感じがして

嬉しかったし、もっと

お勉強しようって思えました。

 

また、この著者は、お勉強とは

自己破壊だと言っています。

 

どういうことかというと、

 

これまでの自分は、親であったり、

学校の友達や先生など、

周りの環境の価値観によって

作られたもの。

 

そこに新しい学びや何か作り出す

行為というのは、それまでの

価値観を破壊し、新しい自分に

なるということだと言います。

 

 

そもそも、これまでの自分にとって

異質な世界観を得ようとしているの

だから、実感に合わないことが

書いてあって当然なのです。

むしろ、「なんでそんなふうに考えるの?!」と

気味悪く、ときには不快に思うことも

あるような考え方を学んでこそ

勉強なのです。  

新しい言い方=考え方にノることで、

自分の「感覚を拡張する」のです。  

これが、まさしく自己破壊。

これまでの自分に知識やスキルを

足すのではなく、感じ方、考え方を、

根本的に揺さぶる。慣れるとそれは、

マッサージのように気持ちよくなってくる。

 

 

 

私の場合、お勉強ではないのだけど、

Twitterでこれと似たような体験をしました。

 

私は、ほぼ読むだけですが、

Twitterを使っています。

 

この本を読む前の私は、自分にとって

心地よいことを呟いてくれる人を

フォローしていましたが、

そういう人とは真逆のことを

呟いている人もフォローする

ようにしてみました。

 

すると、この著者が言うように

「なんで、そんなふうに考えるの?と

不快に思うことが度々ありました。

 

でも敢えて、真逆の意見を言う人に

注目し、事実はどうなのか?

調べるようになりました。

 

すると、自分が正しいと思っていた

ことが、やっぱり正しいと確信が

持てることもあれば、全く違って

いたりすることがあったりと、

これまでにない発見があり、

ほんの少し拡張できたかなと

思えました。

 

本を読んで、学んだのではなく、

Twitterですけど...