人間の頂 野口法蔵 著

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今日、紹介する本は、以前このブログで紹介した「これでいいのだ」という本の著者、野口法蔵さんの「人間の頂」という本です。ヨガのお勉強を始めたばかりの頃に出会いました。

 

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この野口宝蔵さんは現在、座禅断食の指導にあたる臨済宗妙心寺派の僧侶。この本は著者がインドやネパール、チベットなどで修行した時のエピソードが語られています。

 

最初にこの本を手にした時、目を引いたのは帯のキャッチコピー。

 

私は無意識に、その焼け焦げた<人の肉>を口に運んでいた。 

 

かなり強烈です。そして著者が体験した数々は、日本で生活している私には、到底真似できない壮絶な修行生活をされていて驚きます。ですが、著者が訪れた国の人々の死生観は、ある意味羨ましくもありました。

 

 

「インドの人は、どうしてこんん何明るく死んでいけるのだろうか?」それはインド人の宗教観にある。私はそう思いました。インドは輪廻転生思想(生まれ変わり)の発祥の地であり、国民の八割が信じているヒンズー教は、この思想が土台になっている。

死ぬことは滅することでも、冥界へ行くことでもない。死ぬとは肉体の衣を脱ぎ捨てただけで、魂はまたよみがえる。ただし、どんな生き物になって生まれてくるかは、現世での行いによる。簡単に言えば、輪廻転生思想とはこのようなものです。

〜中略〜

なぜなら肉体は天からの借り物であり、借りたものを自分で勝手に処分してしまう自殺は、間接的な殺人行為であり、そのカルマは次の生である来世にマイナス条件として加えられる。ということは、次の生まれ変わりでは、もっと悲惨な人生が待っている。それが嫌だとまた自殺すれば、より一層ひどい人生になる。要するに自殺は奈落の底へ落ちていくようなものなのです。 

インド人はそれをよく知っているから、どんな辛い人生を送るようになっても、来世を期待して死ぬまでがんばって生きる。そういう考えで生きているから、死を迎えたとき「ああ、これひと区切りがついた」とほっとした気持ちになれる。明るい顔をして死んでいける背景には、こういう思想があったのです。

 

 

いつか私が、輪廻転生を信じきることができるか分からないけど、この肉体をボロボロになるまで使い倒し、いつかその日が来たら、ほっとした気持ちで逝けるように日々精進していきたい。

 

 

日本人の場合、インドやチベットの人たちのような死生観や思想を持つことはなかなか難しい。でも著者は「自己対話」することや、日常生活でもできる滝行や断食、五体投地などの修行を取り入れることを推奨していて、ご本人が、座禅断食を主催しているそうです。

 

断食といえば、以前にもブログに書いてますが、私はとあるカルト教団に入信していたことがあって、20人ぐらいで集団生活をしておりました。その教団では、献身者は断食を1週間行う必要があり、一緒に暮らしていたお姉さま方が、この修行にチャレンジしていたのを思い出しました。

 

彼女たちは、献身者とはいえ、昼は仕事をしながら断食をしていたので、今考えるとゾッとしますが、辛いのは2〜3日だけで、それを越えると、みんな肌が艶々になって、体がめちゃくちゃ軽くなると言っていました。

 

なので、私も一度体験してみたかったのですが、なかなかチャレンジできずにおりました。ですが、最近読んだ本の著者が断食を勧めている人が多いので、そろそろやってみるか!と思ったところに「奇跡が起こる半日断食」を読んだら、私のような不整脈や動悸が頻繁に起こる人は、半日断食を行うと、さらに症状がひどくなると書いてあって、当分できないことがわかりました。

 

やってみたい気持ちもあったけど、なんかホッとしたかも。

( ̄▽ ̄)テヘペロ