続くかな?シリーズ3「中国哲学の礎」

ハイ

 

今日は紀元前500年前後の

 

中国、インドについてお話して

 

みたいと思ったのですが

 

本を読んでいくうちに

 

中国の内容がとっても

 

濃ゆく、東洋占星術を

 

学ぶ私としては、見過ごせない

 

内容が満載なので、残念ながら

 

インドまで手がまわらなく

 

なってしまいました。(^◇^;)

 

そのかわり今日は

 

中国最古の王朝

 

殷(いん)の時代と陰陽五行思想

 

について書いてみたいと

 

思います。

 

ちなみに中国最古の王朝の

名前は、夏・殷・周の

三代の名前が史記に

記録されています。

 

 

殷(いん)の時代は

 

紀元前1023年頃

 

この時代の特徴は

 

甲骨文字が発見されたこと。

 

これによって、いかに

 

この時代が占いや祭祀を重視してい

 

たかが判明したそうです。

 

それが以下の内容です。

 

 

 

 

 

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最後の出生日で占われていたという

 

部分ですが、殷の時代が終わって

 

から、唐王朝までの二千年の間

 

生年干支主体で占いが行われて

 

いたそうです。

 

なぜ殷のあと使われなくなった

 

のか、とても不思議ですね。

 

 

 

 

さて、次は中国哲学史(思想史)は

 

陰陽五行思想なくして

 

語れませんので、そのへんを

 

少しお勉強したいと思います。

 

 

もともと陰陽五行思想は

 

陰陽思想と五行思想

 

別々のものでした。

 

 

まず最初に出現したのが

 

陰陽思想です。

 

紀元前800年頃には、易経という

 

形で、まとまってい ます。

 

陰陽思想については、また

後日、深掘りしてみたいと思うので

今日は、このまま五行へ進みます。

 

次に五行思想は

 

いつからあったのでしょうか?

 

神話によれば、夏王朝の禹(う)王が

治水工事をする時、亀の甲羅の数字の

魔法陣を発見したことがきっかけと

いう説もありますが

 

殷王朝から周王朝、

 

春秋を経て、戦国時代の終わり

 

紀元前305年〜紀元前240年

 

鄒衍(すうえん)という

 

思想家の手によって

 

「陰陽」と「五行」思想が結びついた

 

と言われています。

 

 

ちなみに

 

 

鄒衍(すうえん)のときの

 

五行というのは

 

相勝(剋)だったということ。

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下の図の相生五行を説いたのは

 

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鄒衍(すうえん)ではなく、

 

前漢代(紀元前176〜前104年)の思想家

 

董仲舒(とうちゅうじょ)さんです。

 

さらに時代が下り、前漢末(?〜23年)に

 

天文家の劉歆(りゅうきん)さんによって

 

五行の季節配当が整理され、現在の五行

 

思想の循環が整ったとされています。

 

 

 

はーい

やっと中国哲学の土台が

なんとなくわかったところで

次は、孔子さまや老師さまに

登場していただくのですが

私が使っている資料には

老師さまの情報が少なくて

難儀しております。

でも、学ぶって楽しい〜♪を

実感しているので

もう少し

がんばってみたいと

思います。