「これが仏教 今より幸せになる知恵27話」 ひろさちや 著
今日はひろさちや先生の本です。
仏教を学び始めて、先生の本は
Amazonさんから
何度か勧められていて、
今回初めて読んでみる
ことにしました。
ざっと読んでみて、先生は
元々、とても好き嫌いが激しいお方
なのでは?と感じました。
また、以前読んだ五木寛之さんの
言っていた内容といくつか共通点が
あったりして、仏教という背景が
同じだからでしょうか。
わたしたちは、同じ現象や同じ物を
見ても、その人の性格によってものすごく
見え方が違っている。
宿題をきっかり半分すませた時点で、
楽天家は、「もう半分もやった!」と
思う。逆に悲観論者のほうは、「まだ
半分しかやっていない」と、否定形で
考えてしまう。
われわれ人間は自分の器量で事物を
見ているわけだ。そうだとすれば、
「世の中、嫌なことばっかり・・・」
と言っている人は、自分の器量の小さい
ことを告白しているわけだ。
いささか恥ずかしい。注意せねばならない。
〜略〜
まさに「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」の
である。掘られた穴を見れば、蟹の器量
がわかるわけだ。
愚痴ったその時点で、私の器量の
小ささが剥き出しになってしまう
のね。ほんと恥ずかしいっ!
注意しなきゃだわ。
キリスト教の「汝の敵を愛せ」と
言われてえ「はい、そうします」と
答える人は偽善者である。
先生は、そういう人が
好きじゃないそうです。
なぜなら、我々人間は、
弱いから。
これとはちょっと違うけど、
私は、「一生ついていく」、
「永遠に一緒だよ」という
言葉を簡単に使う人は苦手です。
一生ついていきたいという
気持ちも、二人の関係が永遠に
続けばいいと思う気持ちも
すごく理解できる。
でもこれを実現することは
簡単じゃない。
なぜなら、我々の心は
常に変化し、弱いから。
だから、私は絶対に言わないし、
言われたら、その人と、
距離を置いてしまいそう。
まぁ私が言われることはないので、
心配はいらないのだけど。笑
仏教は私たちに
「嘘をついてはならない」と
教えている。では、わたしたちは、
ガンの友人から「ほんとうは俺は
ガンなんだろう?」と聞かれたとき、
「ああそうだよ」と答えるべきか。
不妄語戒(ふもうごかい)を文字通り
解するとそう答えるべきだとなる。
でもそれだと友人はショックをうける。
結果、自殺をするかもしれないし
死期を早めることにもなりかねない。
先生は、仏教の「不妄語戒(ふもうごかい)」
は、嘘をつくなと頭ごなしに言っている
のではなく、仏に懺悔しつつ「嘘をつく勇気」
を持つべきだと言います。
占いでも、伝えにくい鑑定結果が出たからといって、
結果を変えてはいけないと言われていて、
ある時期、どう伝えるか悩んだことがありました。
そして、ゲッターズさんが
これほど気を遣っていることに
驚いたのを思い出しました。
そして、有名になるということは
こういうことなんだと納得しました。
われわれが
「わたしだけが、どうして?」
と問うのは、まちがいである。
不幸なのはわたしだけではない。
ほかにいっぱい不幸な人がいる。
ただ、他人の不幸のあり方は
自分の不幸のあり方と流儀が
違っているから、他人が不幸に
見えないだけなのだ。
それで「自分だけが……」と思って
しまうのである。
〜略〜
わたしの不幸はわたしの
不幸であって、わたしはそれを
自分で解決せねばならないのである。
誰のせいでもなく、不幸は全て
自分の心がつくりだすもの。
自分で解決できるものだと
やっとこの年になって、
思えるようになりました。