続くかな?シリーズ「ヒューム〜経験論」

今日は久々に

続くかな?哲学&宗教シリーズ

ヒューム編です。

 

ヒュームって誰?

 

私は聞いたことがあるような

ないような・・・

 

 

まずヒューム さんを紹介する

前に、近代哲学の祖と呼ばれる

デカルトさんを

少しおさらいしておきましょう。

 

www.uranairen3.com

 

デカルトさんは、全てに対して

徹底的に疑いました。

 

そして、とうとう

この世は、すべて幻では?

と思うようになりました。

 

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Pixabay

 

 

 

ところが、あることに気がつきます。

 

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そう。幻〜と思っている私がいること

に気がついてしまったのです。

 

そこで生まれた有名な言葉が

「我思うゆえに我あり」です。

 

哲学を全く勉強してこなかった

私ですが、この言葉なら、

聞いたことがあります。

 

そして、このデカルトさんが

亡くなられて

126年後、ヒュームさんが

イギリスに生まれます。

 

このヒュームさんは、

デカルトが気づいた

「私」という存在に

疑問を持ちます。

 

この『私』って、そもそも

なんなの?

 

肉体がなくてもこの『私』って

存在するの?

 

 

 

違うと思います!!

 

 

この「私」は、知覚の

集まりにすぎない。

つまり、生まれた後に、

経験したことが、

「私という感覚」を

形作っているだけ。

 

そして、その経験と現実世界が

一致している保証もないと

反論しました。

 

 

さらに!!

この時代は、まだまだ

「神様」は特別なもの

だったにもかかわらず、

 

神様だって、私たちの

経験から生み出された

想像物にすぎない!

 

と言ってしまったのだ。

 

わーお。

 

でも時代が良かったのか?

お咎めはなかったようです。

 

ルネサンスの時代なら

火炙りレベル?

 

さらにさらに

ヒューム さんは、神様だけに

止まらず、

 

「火は熱い」ということを

私たちは当たり前に

思っていますが、それも

経験からのものでしょ?と

「科学」についても

経験上の産物だと主張し、

 

「自我」「神様」「科学」を否定し、

ここで、西洋哲学の「経験論」が

完成したのでした。

 

 

なるほど〜〜〜

 

余談ですが、

私が小学生の頃、

花火で、皮膚移植を

するほどの大火傷をしています。

 

この時、ほぼ火だるま状態に

なったのですが、全く熱さを

感じませんでした。

おそらく、アドレナリンが

出ていたからだと思いますが、

とても不思議な体験です。

 

とはいっても、救急車で

運ばれ、治療してもらった

後は、痛みで全く眠れなかった

けどね。