続くかな?シリーズ10 続編「ソクラテス〜死の練習」
こんにちは。
さて、今日はテーマは?
先日、続くかなシリーズ10で
ソクラテスについて調べましたが
今、読んでいる本にソクラテスの
ことが書かれていたので
少しですが、紹介したいと
思います。その本は
「死・終わりなき生」
オショー・ラジニーシ講話録
このオショー・ラジニーシ氏が
誰かというと・・・
インドの宗教家です。
ですが、調べてみると危ない
面もあったりするようですが、
本の内容は、なかなか面白かった
です。
さて、彼の説く「死」について。
p19
わたしがいいたいのは、死を
見つめること、死を理解すること、
死を認識することが不可欠だと
いうことだ。
ところがこれは、自分が死ぬときに
しか為しえないことだ。
死につつあるときにしか、死を
見つめることはできない。
となると今度は、その方法は何か、
ということになる。
もし唯一、死につつあるときにしか
死をみないのであれば、死を理解する
すべはない。
なぜなら死の瞬間、人は無意識になる
からだ。
そう方法はある。
自らの自由意志によって死に入って
ゆく実験をすることができる。
いわせてもらおう。
ほかならぬ瞑想、サマーディが
まさにそれなのだ。
(略)
死はあなたの外側で起こる。
つまり、あなたではないものだけ
が死ぬということ。あなた
そのものは生き残るということだ。
これこそが瞑想の、サマーディの
意味だ。
そして、この後彼は、ソクラテスが
まさに死なんとしていた瞬間のことを
語り出す。
死刑判決を受け入れたソクラテス。
弟子や友人が、見守る部屋で
毒を調合する人に向かって
毒を作るのが遅いと言います。
なぜ、それほど「死」を急ぐのか?
その質問にソクラテスは
「死を見たいから大急ぎなのだ。
わたしは死がどんなものか見て
みたい。死が起こるときに、この
わたしが生き残るのかどうかを
見たいのだ。」
と弟子たちの前で
言い、毒を飲む。
そして、自分が死に行くその直前まで
実況中継が如く
「それでもわたしは存在している」と
言ったそうだ。
さらにソクラテスは、弟子たちに
正しく哲学している人々は死ぬことの
練習をしているのだ。
とも言っていたようですが
哲学=死の練習と捉えるのではなく
「死」をしっかり見つめることで
どう生きるかが見えてくるんだと
思う今日この頃なのでした。
さて、ソクラテスがいたであろう
古代ギリシャを旅することができる
ソフトを見つけました。
私のMacでは、ダウンロード
できなくて、古いWindowsPCに
DLしてみたけど、時間がかかり
過ぎて、役に立たないので
その世界観を動画で
アップしてくださって
いる方がいたので
こちらをご覧ください。
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明日まで、無料ですってよ〜〜