私たちの世界はVR?インド哲学より〜

この半年、毎晩寝る前に

バガヴァッド・ギーターカードを

1枚引いて、その意味を考えながら

眠ります。

 

とはいっても、考える間も無く

すぐに眠ってしまうのですが(爆)

 

 

先日、ななにーというAbemaの番組を

見ていたら、出川の哲ちゃんが出演していて、

関東では、ドラマ「JIN-仁」の再放送が

あったようで、哲ちゃんがいかに

感動したかを必死で伝えておりました。

 

うん。うん。哲ちゃん、その気持ち

めっちゃわかるよ。

私もこのドラマは、3~4回見てるもん。

 

東海地方では、先週末からこのドラマが

始まりました。当然のごとく

私も見ていたのですが、CMが・・・

ここはやっぱり、アマゾンプライムでしょ。

 

ということで見始めたら、止まりません。

 

何度も見てるのに

涙が・・・・・

私って、アホ過ぎる。

 

哲ちゃんが言うように

私も、緒方洪庵先生が、仁先生に

あなたは未来から来られたのでしょ?

と聞くシーン。

大大大だーーーーい好きです。

 

武田鉄矢さん、名演技でしたね。

 

 

ほんとは、坂本龍馬役を演じたかった

らしいです。でも龍馬役が、あの

内野聖陽さんですからね。

 

彼の演技を見て、武田さんも脱帽だった

そうです。

 

それに武田鉄矢さんの年齢を考えると

厳しいよね。

 

あ~ほんとに素晴らしいドラマ、映画を

見ると、心が踊るな~♪

 

テーマ曲も素晴らしいから尚更です。

ドラマだけでは、もったいないので

漫画も読んでいます。

 

 

 

 

 

 

そして、昨晩引いたカードがこちら↓

 

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「サッティアン」真実、存在

 

419

 

経典は、この世界はまるで

大きなスケールで

動くドラマのようだと言います。

 

世界のドラマに私たちは皆、

それぞれ役をもち、それにあった

体という衣装を着て、名前をもって

参加しています。

シナリオは全体世界によって決められ、

個人の役柄は過去のカルマ

によって設定されています。

 

世界のドラマでは、どんな生物も

大事な役を担っています。どんなあ人も

その人でなければ演じることができない

必要な役を任され、どうでもいい役

など一切ありません。

 

 

 

 

さて、こんなカードを引いたわけですが

私たちは、当たり前のように

この世界を現実と思いながら暮らしている

わけだけど、もしかしたら現実だと

思っているこの世界は、夢、もしくは

VR(ヴァーチャル)の世界で、人生は

本当にドラマなのかもしれません。

 

 

インド哲学では、「踊り子」と「観客」

という言葉を使う伝統があるそうです。

いまどき、踊り子と言われてもわかりにくいので

「映画」に例えてみると

 

 

 

私たちは、映画を観る観客として、

 

一人で、映画を観ていると

ついつい、主人公に感情移入してしまいますね。

 

 

例えば、ホラー映画なら、襲いかかる恐怖に

慄いて、布団を被ってしまうとか・・・

 

また、主人公が、悲しみに打ちひしがれている時

涙が溢れてきたりとか・・

 

 

いやいや、映画ですから。

 

 

同じように私たちが現実だと思っているこの世界が

ドラマだとしたら?社会で、どんなに誹謗中傷されようが

傷ついたとしても、本当の自分(観客)、つまり

アートマンは、決して傷つけられることはない。

 

だから、

 

何ひとつ、恐れる必要がないし

 

悲しむ必要はないという思想です。

 

 

 

 

昨年、家族旅行でマレーシアに

行った時、VAR Live Malaysia」で、

VRを体験してきました。

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ゾンビガンシューティング「Zombie Jail」

 

私たちは、トラックのような荷台に

乗って、本格的な重さのある銃を

肩から下げ、VRゴーグルをつけて

襲いかかってくるゾンビと戦いました。

 

ゴーグルの外は、静かな

ショッピングモール。

でもゴーグルの中は、暗闇の中を

走るトラックに前後左右から

ゾンビが襲いかかってくるんですよ。

 

 

あまりの怖さにおばさん、

雄叫びをモール中に響き渡らせました。

 

そして、ゴーグルを外した時の、

静けさと恥ずかしさったら

もう~~~ね。(^◇^;)

 

これぞ旅の恥はかき捨てなのですが

 

この体験こそが、インド哲学でいう

 

「死」であり、「アートマン」

 

なのかな・・・と

 

思う今日この頃なのでした。