意味のないものなんてない

今日は、マッサージに行ってきたのだ。
 
ジムに行って
 

毎日スッキリしてはいるものの

 
手術前の緊張感がどうしても
 
未だとれない。
 
軽い手術の後遺症ってやつかも。
 
たっぷり時間をかけて施術してもらったら
 
目がキリッ!!
 
シャキーーーーーンとなりました。
 
やっぱり人の手には、エネルギーがあるわ〜
 
 
 
 
さて、今日は
 
なんで
 
人生は、こうも山あり谷あり
 
いろいろあるんでしょう。ということを
 
 
ヨガ哲学の本「インテグラル・ヨガ」を読んでみたら
 
とてもいいことが書いてあったので一部紹介します。
 
 
 
 
初心者は、非常に強い関心を持って修練を行う。そして日に日に
 
関心が強まっていくのを覚え、自分は着実に進歩していると考える。
 
その進歩を誇りに思うことすらあるかもしれない。
 
ところがある日突然、全てがフイになっている。
 
どん底に落ちている。
 
多くの人々がそんな経験をする。
 
だがそういう事は霊的な道では
 
よくあることだと知っていれば、失望をしなくても済む。
 
そうでないと「あーもうダメだ、私には見込みは無い」
 
と思って、やる気をなくす。
 
だが、それは求道者なら誰にでもあることなのだ。
 
心と言うものは常に同じレベルで機能することができない。
 
高い時もあるし低い時もある。
 
進歩がいつも着実になされているのだったら
 
そこにはチャレンジもないし
 
面白みも何もない。
 
ヨガの修練は障害物競走のようなもので、たくさんの障害物が
 
途中に置かれているのもちゃんと故あってのこと。
 
経験するべく置かれているのだ。
 
それらは、我々に理解させ、我々自身の力を表現させるために
 
そこにある。
 
我々にはその力がある。
 
ところが、それがあることに気づかない。
 
われわれは、どうも自分自身の力を知るために、挑まれたり
 
試されたりしなければならないようである。
 
だがそれも当然と言えば当然のことなのだ。
 
もし川が、ただ緩やかに流れるだけなら、その川の水は
 
自らの力を表現しない。
 
しかしダムと言う障害の1つ置いてやれば
 
その力は莫大な電力と言う形で見ることができる。
 

 

 
そうなのよ!!障害、試練こそエネルギー。
 
 
でもこれを乗り越えるには
 
目の前にある大きなダムを見ちゃダメ。
 
ダムの先に何があるかなんて
 
考えちゃダメ。
 
怖くなるのは当たり前
 
動揺するのはあなただけじゃない。
 
 
今ある問題に真剣に向き合っていれば
 
いつか物凄いエネルギーとなって
 
今よりもっと成長した自分の出来上がり!!
 
 
 
インテグラル・ヨーガ (パタンジャリのヨーガ・スートラ)

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