当たり前をリセットすればいい

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認知症終末期の母、特養で看取り介護をお願いしている。
 
私も仕事が休みの日は母の見舞いに行くが
 
父は、最近毎日行って
 
嚥下障害の母に少しでも
 
何か口にしてもらおうと出かけている。
 
それでも時間を見つけては、友人達と大好きな
 
カラオケや社交ダンスに行っている父。
 
ところが先日
 
婆さんがこんな状態なのに行っていいのだろうか
 
負い目を感じているという。
 
 
 
昔の私なら、母がそういう状況で
 
よく遊びに行けるね。なんて思ったかも
 
でも今は違う。
 
自分を許すコト、そして他人を許すコト
 
知ったから。
 
そして、時間は有限であることも実感したから。
 
しかし、父は昔の人。
 
長男はこうあるべき
 
夫ならこうすべき
 
介護は家族がすべき
 
などなど
 
私よりも遥かに沢山の「当たり前」を抱えている。
 
当然、私にも「おまえは子供だから俺たち面倒をみるのは
 
当たり前なんだぞ」と言っていた。
 
もちろん見ますとも。
 
でもね
 
「そうやって、当たり前という言葉で人を縛るのは
 
やめた方がいい。それが、負い目を感じる原因だから」と。
 
人に当たり前、常識を求めるということは、
 
自分も
 
そうしなければいけないと思ってしまう。
 
だから苦しくなる。
 
 
 
私は、父に自分の人生を謳歌してもらいたい。
 
そして、

 

負い目なんて感じる必要なんてない。

 
父の歌う姿をいつも誇らしげに見つめていた母
 
きっと、「お父さん、好きなことやった方が
 
いいよ」と言ってくれるはずだよ。
 

あなたの当たり前をリセットしませんか?