「シッダールタ」ヘルマン・ヘッセ

 

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Pixabay

 

 

今回の本も長らく積読に

なっていた本です。

 

なぜこの本を放置していたかというと、

本を手にした瞬間、直感的に私には

理解できないだろうと感じたからです。

 

この判断は正しかったみたい。

 

特に後半のヴァースデーヴァや、ゴーヴィンダ

との会話の内容は、この本を購入した当時の

私にはチンプンカンプンだったと思います。

 

手塚治虫さんの漫画「ブッダ」から

始まり、少しずつ学んできて本当によかった。

 

だって、ヘルマン・ヘッセが伝えたかった

ことをわずかだけど、受け取ることができたから。

 

そこで、今日は心に残った場面を3つ

紹介したいと思います。

 

 

シッダールタが世俗と欲望の

生活から遠く離れ、森の大きな河の

ほとりで、過去に出会ったことの

ある、渡し守のヴァースデーヴァに、

自分の素性、これまでの経緯など、

全てを語る場面。

 

p140

 

これは、渡し守の美徳のうちで最高の

美徳の1つであった。つまり彼はまれに

見るほどの聞き上手であった。

 

ヴァースデーヴァがひと言も話さなくても、

話し手は自分の言葉をヴァースデーヴァが、

静かに、心を開いて待ちながら受け入れて

くれているのを感じ取った。

ひと言も聞き漏らさず、ひと言も待ちかねて

イライラしたりせず、称賛も非難もせず、

ひたすら聞き入っていることを。

このような聞き手に自分のことを告白し、

自分の生涯を、自分の探し求めるものを、

自分の苦悩を、聞き手の心の底に

沈めるのはなんと幸せなことだろう、

とシッダールタは感じた。

 

 

こんな聞き上手な人が身近にいてくれたら、

どんなに心が癒されるでしょうね。

ヘッセは、ユングと親交が深かったそうで、

ヴァースデーヴァのイメージが

ユングと重なります。

 

 

p145

シッダールタの前世も決して過去では

なかった。そして死と梵(ブラフマン)への

回帰も決して未来ではない。

何ものも過去にあったのではなく、

何ものも未来にあるのではない。

あらゆるものは現在にある。

あらゆるものは実際に現在存在する

 略

自分を苦しめ、自分を恐れることも

全て時間ではないか。時間を克服し、

時間がないものと考えることが

できたなら、この世のあらゆる

苦しみと、あらゆる憎しみは

なくなり、克服されるのでは

ないか夢中になって彼は語った

 

 

 

過去も未来も存在しない。

 

過去は確かにあったはずだけど、

今この瞬間に過去はない。

そして、未来も想像はすることは

できても今この瞬間に未来はない。

 

 

過去の愚行を後悔していた時、

細胞は〇〇日で入れ替わると聞き、

過去の自分は、赤の他人と思っても

おかしくないのでは?

 

あらがち間違っていない

かもしれない。

 

過去には二度と戻れない。

若い頃もこの言葉を理解していたはず

なのに、今感じるこの言葉の重みと

切なさは、なんだろう。

 

そして、未来を憂うのもこの

時間という化け物のせい。

 

この化け物は、目に見えない。

でも私たちは確実に老けていく。

どうしたら、この時間という

化け物を私の頭の中から、

捨て去ることができるだろう。

かなり難しい。

 

「時間」「化け物」という

キーワードが、昔見たスティーブン・

キングの「ランゴリアーズ」という

映画を思い出した。ネットを見ると

評判が悪いけど、私はとても好きな

映画です。

 

 

 

 

そして、ヴァースデーヴァが、11歳の息子を心配し、

手を焼いているシッダールタに言った言葉。

 

p161

 

彼を君の愛情と言う絆で

縛りつけてはいないだろうか。

(略)

友よ、君はもしかしてこのような

道が誰かある人には免除されると

本当に信じているのか?もしかして

自分の息子だけにはと?

それは君が息子を

愛しているからだ、君がその子には

苦労と苦痛と失望を味わわせたく

ないと心から望んでいるからだ、と?

けれど、たとえあの子のために10回

死んだとしても、それによって君は

あの子の運命のどんな小さな切れ

端さえも取り除いてやることは

できないだろう。

 

 

 

シッダールタだって、ヴァースデーヴァが

言っていることは十分にわかっているん

ですよ。私もシッダールタの気持ちが痛い

ほどわかります。親というものは

そういうもの。

 

p165

この愛、彼の息子に対する盲目の愛が、

煩悩であり、非常に人間的なものであり、

それが輪廻(サンサーラ)であり、

濁った水であることを彼は感じていた。

しかし同時に彼は感じていた。

それが無価値なものではなく、

それが必然的ものであり、自分自身の

本質に根差すものであることを。

この欲望も満たされなくてはならず、

この苦悩も味わい尽くさなくてはならず、

この愚行も演じなくてはならなかった。 

 

 

シッダールタも自分の親に同じような心配を

かけ、そして親になって、それを味わう。

 

私も近い将来、父や母にしてきたことを

味わう日が来るのだろう。

 

 

今回、この本がとても気に入った

ので、ヘッセが書いた他の

本を購入してみました。

 

それはまた今度。