未来を求める理由

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 pixabay

 

私はテクノロジーの未来とか

想像するのが大好き。

 

そして、最近は老後のことを

考え、お金のお勉強を始めたら、

投資がとても面白くなってきて

しまいました。

 

なぜ私が投資を面白いと思えたの

かというと、投資とは、今使う

お金ではなく将来(未来)の

ためのもの。

 

なるほど、私はよっぽど

未来を想像することが好きなんだと

思いましたが、なぜこんなにも

私を惹きつけるのか?

その理由が自分でもわかりません

でした。

 

ところがひょんなことから、

答えに出会ってしまいました。

 

 

今日紹介するのは、とある

占い師さんが以前お勧めしていた本。

 

ところが、めちゃくちゃ難しくて

1年近く放置。

でも諦めきれず、再チャレンジ。

 

が!やはり難しい。

 

そこで、理解できそうな部分だけでも

と思い、読み進めてみたら、

これってもしや?

と思った部分が今回の気づきです。

 

 

「無境界」ケン・ウィルバー  著

p135

誕生とは過去を持っていない

状態である。

同様に死んだばかりのもの、

存在しなくなったばかりの

ものは何であれ、来るべき

未来を持っていない。

 

〜略〜

 

P136

人はこの現在の瞬間に

死の匂いを嗅がないための

一つの約束として未来を

要求する。

この死の恐怖は、公然と

あるいは巧妙に機能して、

明日を考え、計画し、求め

、少なくとも予定する方向へと

人をかりたてる。死の

恐怖が未来を探究し、未来に

手を伸ばし、未来に向かって

進む原因となるのである。

つまり、死の恐怖は強烈な

時間感覚を生むのである。

 

 

私が、未来を求めずにいられない

理由はこれだった。

 

 

明日、明日、明日

1日1日、何気なく忍び寄り、

時の記録の最後の一綴りまで

つづく。

全ての昨日という日は

愚か者の塵芥の死への

道を照らしてきた。

 

この本の趣旨とは関係ないの

だけど、なるほどと思った。