母の死が近づいて思うこと

私には、カラオケ、社交ダンスが得意な父と
 
認知症の母がいる。
 
そして6才年上の姉がいた。
 
いた。
 
そう過去形
 
姉は48才で亡くなっている。
 
その原因は、彼女が30才の時
 
3人の子供を保育園に預け
 
仕事に向かう途中、交通事故で脊椎損傷になったのだ。
 
それからというもの
 
 
姉が大好きだった母は、子供達、そして姉の介護も
 
全て引き受けた。
 
そして、子供たちも成人し、母が楽になった頃
 
姉が肺炎を起こし突然亡くなった。
 
母はその時から、家から全く出なくなった。
 
そして、認知症を患う。
 
現在、認知症に気づいて9年。
 
要介護認定されてから6年が経ちます。
 
その間、離れて暮らす父が母の介護を
 
していましたが、昨年
 
父が「限界だ」と、こぼすようになり
 
民間の介護施設にお願いしようか考えていたら、
 
特養の空きが出て、昨年末に入所させました。
 
 
 
ところが、笑顔も出るくらい意識が
 
はっきりしているのに
 
嚥下障害(飲み込めない)が
 
ひどくなってしまい
 
もし、このまま口から何も受け付けない
 
状態が続けば
 
胃瘻(鼻からチューブで栄養分を送る)にするか?
 
点滴だけで死を待つか?
 
または、点滴もせず、枯れるように逝くのか?
 
今、命の選択を迫られています。
 
家族としては、カラダはしっかり元気なのに
 
信じられません。
 
とはいえ、母の死が近づいているのは事実。
 
 
父は胃瘻はさせないと言っているので
 
後は、病院で点滴を打ち続けるのか?
 
看取り看護をしてくれる特養なので
 
延命治療をせず、自然に逝く方法を選ぶのか?
 
判断しなければならない・・・
 
 
そんなことを考えていたら
 
2年前に18才で亡くなったペットの
 
猫のことを思い出しました。
 
その子は、亡くなる2年前、病院から腎臓病と診断され
 
治らないと言われました。
 
それから食事療法や点滴など、病院へ通うことも
 
出来たでしょうが
 
年も年だし、度々病院に行っていたら
 
かえってストレスで弱ってしまうんじゃ?と思い
 
いっさい治療をせず、
 
食事の量が減ってきたこともあり
 
食べやすく、彼女が好んで食べるものだけにして
 
水は、部屋中に置いて普段通りに暮らしていました。
 
そして亡くなるひと月前ぐらいから
 
まったく毛繕いしなくなり、足元がかなり弱ってきて
 
亡くなる当日は、数時間前まで、自分の足で
 
トイレへ行き
 
いつもの場所でご飯を
 
食べて(スープしか飲まなくなっていたけど)
 
一緒に寝ました。
 
最後は、少し息苦しそうでしたが、静かに
 
本当に静かに息を引き取りました。
 
 
 
猫と人間を比較するのもどうかと思うけど
 
もし、私が母と同じ状況だったら?
 
治る病気でないのなら
 
自然に逝く方法を選びたい。
 
未来がないのに
 
高額な医療費がかかるのも抵抗があるし・・
 
あるお医者様が
 
「食べられなくなるのは、生き物としての限界が
 
近づいているからだ」
 
とおっしゃっていて、すごく腑に落ちた。
 
 
今こうして母の死が近づき
 
一番実感したことは、自分の死も
 
近づいているという事だ。
 
だからこそ、後悔しない人生にしたいと
 
切に思う。