自分とは何か?を考えてみたら、やっぱりややこしくなった。

先日も報告しましたが、息子の就活も終わり、社会人になったらなかなか親子で旅行なんて、行けないだろうからと、マレーシアに行ってきました。
 親子水入らず、ホーカーで酒を酌み交わしながら近況報告をしていたら、息子が「俺ってどんな人間かな?占い抜きで(笑)」と、突然言い出して驚きました。
就職先は決まったものの、これからの人生を色々考えているのでしょう。息子に限らず、自分の存在って?考えることありますよね。若い頃の私は、女は結婚して、子供を産み育てていくことが、人生だと思い込んでいたので、若い頃から、自分の存在についてそれほど深く考えたことはなかったけど、この年になってやっと、人間って?自分って?疑問に感じるようになりました。

 

そのおかげで、占いにハマり、挙句ヨガにまで手を出していますけど・・笑


前置きが長くなってしまいましたが、今日のお題は「自分とは何か?」をインド哲学と算命学の三極構造から考えてみたいと思います。

今回も「生き方としてのヨガ」 龍村 修先生〜より。

 

生き方としてのヨガ

生き方としてのヨガ

 

 

 

「 自分とは何か?」

①科学的な考え方

自分とは、肉体と心。生まれてきたのは全くの偶然。生は、母親の体内で受精した時から始まり、死は肉体の死がすなわち自分の死である。
死後のことは、死んだ体験はないのだから非科学的だ。

②宗教的な考え方

自分とは、心と霊であっって、霊が肉体をまとっている。今ある現状は因縁、前世、過去世の報いであるから、神を信じることで救われ、信じない人は救われない。祈祷、お布施をすれば救われる。宗教をやめたら不幸になるなど言われることがある。

 

③古代インド人の哲学

人間は、身・心・霊からなる全的存在。
対立する二つ(科学・宗教)の概念はどちらも切り離して考えるものではないので、両者の使える部分を積極的に取り入れ活かそうというもの。

 

f:id:uranairen:20190729100254p:plain

 

この本には、上のような挿絵(人間馬車説)があったので、遊び半分、真似て作っていたら、ん?どっかで見たことあるぞ。そうだ!!前にもブログで書いたこれだ!!

        f:id:uranairen:20190319203441p:plain


なので、この本の挿絵で、算命学の陰占と陽占の連結(三極構造)を作ってみた。


f:id:uranairen:20190823102725p:plain



「算命学Ⅱ」  高尾義政〜より

算命学II

算命学II

 

 

運命という物は肉体が主体になります。つまり直接感じ取れる部分です。この肉体の中には「霊魂」というものが宿っていて、その肉体と中身の霊魂を結びつけるものが「心」だと考えいています。心を頂点にして肉体の世界、霊魂の世界と三角形が出来上がっています。霊魂を精神、肉体を行動と考えても結構です。人間の目に映るものは肉体そのもののわけですが、霊魂世界というものは形に見えないわけです。しかし陽占でお分かりように、その霊魂世界というものが厳然と性格となり、行動の上から読み取れているわけです。〜略
ここに一つのコップがあるとします。そしてその中に水が入っているとします。肉体というのは、このコップ自身なのです。そして霊魂というのは、中に入っている水そのものなのです。これが合わさって人間が出来上がっているわけです。この二つ(肉体と霊魂)を一緒にして判定しないと、真の人間の運命の姿が掴めないのです。

 

算命占法 (下)

算命占法 (下)

 

「算命占法」〜上住節子より

 

日干というフィルターにかけられる「干」が異なれば、同じ十大主星でも、その活動の仕方や表現の仕方が違ってきます。つまり、十大主星を生む他の「干」(器)によって、それぞれの星の働き方(中味)もまた、異なってくるわけです。

ということは、十大主星と十干の組み合わせですから、なんと100種類もあります。
覚えきれませんね。教科書にも全部覚える必要はないと書いてあります。
どういうことかというと、タロットカードと同じように基本の意味は押さえる必要はあるけど、全部同じ答えにはならないってことだね。占う人のスパイスを効かせた表現でいいってこと。

つーことで、蓮さんの陰占と陽占の連結(三極構造)を教科書通りに器で表現すると、下のような図が出来上がりました。(センスのかけらもなくてゴメン(^◇^;))


日干(庚金)で、癸水という器から生まれた調舒星を図にしてみました。


            f:id:uranairen:20190823110018p:plain

 

では、主星である調舒星が、この連結方法で読み解くと、どうなるのか?

器が癸水(雨・露、時間を重ねていく)の調舒星。
周りからは、霧が立ち込めてる?何を考えているのかわかりにくい人かも〜
この調舒星をどう活かすか?は、癸水的な動き方をしていけばよいということ。派手に立ち回るのではなく、じわじわ・・ゆっくり・・長期戦で行動(伝達・表現)することが大事だということがわかりました。

ところで、三極構造では、日干を頂点(基準)として十大主星(魂)と十干(形)の連結で、星を見なければいけないとあるのに日干(心)の影響(意味合い)はどこにも書かれていないのよね。十大主星は、日干(心)と十干の相生相剋で生まれてくるので、わざわざここを掘り下げる必要はないのだろうけど、インド哲学(人間馬車説)の心の部分は、知性や感性の判断を下す心理器官(ブッディ)とあるので、私の日干は庚金だから日々、庚金的に物事を決断、ジャッジしているのかな〜と思う今日この頃。
おかげで?捨てるか捨てないかは、ほぼ迷いなし。笑


という事で、蓮さんという人間がどんな人間なのか?チラ見せしちゃいましたが、かえってわかりにくくなってしまった?そんな声も聞こえてきそうですね。
ごめんなさい。
んじゃ今日は、ここらで失礼します。